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2016 年度 実績報告書

大名庭園の近代ー風景の「近代化」プロセスの検証

研究課題

研究課題/領域番号 16H04484
研究機関京都工芸繊維大学

研究代表者

小野 芳朗  京都工芸繊維大学, デザイン・建築学系, 教授 (50152541)

研究分担者 中嶋 節子  京都大学, 人間・環境学研究科, 教授 (20295710)
三宅 拓也  京都工芸繊維大学, デザイン・建築学系, 助教 (40721361)
本康 宏史  金沢星稜大学, 経済学部, 教授 (80711374)
研究期間 (年度) 2016-04-01 – 2019-03-31
キーワード大名庭園
研究実績の概要

28年度は担当の大名庭園を視察し、現地で資料をまじえ研究会を行った。視察した日程と場所は下記の通り。
平成28年4月30日 京都工芸繊維大学にて視察の打ち合わせ。同年7月16,17日 金沢市文化ホールで研究会、兼六園視察。石川県歴史博物館。兼六園は初期の廉池御殿を12代藩主の時に竹沢御殿として拡張し、それが原型となった。完成は幕末にかけてであり、その後、太政官公園として市民広場、公園ともなり、一方でヤマトタケル像など前田藩と皇室の関係を象徴する構築物ができた。明治11年天皇行幸。同年8月27,28日 広島市TRKガーデンシティで研究会、縮景園視察。広島城。明治後も浅野家の所有だったため、名勝としての指定がおそい。同年9月18日 高松シンボルタワーで研究会、栗林公園視察。北園を近代的公園に改装。南園は古いが松平家の関与は少ない。同年10月15日 彦根玄宮園、彦根城博物館視察 同年12月3日 岡山県立図書館で研究会、後楽園と岡山城視察。元禄期にほぼ原形ができるが、元水田が明治に岡山県に譲渡されてすべて芝生と変わる。芝生の風景そのものが近代である。池田家は明治までは関与しているが、大正になりそのイメージが消えると変わって学者による顕彰が始まり、4庭園が大正11年名勝に指定される。明治18年天皇行幸。平成29年3月4日 水戸偕楽園、弘道館視察。明治23年照憲皇太后行啓。明治23年時点で3名園として全国的に著名となったのはこの水戸行幸行啓が最終的きっかけであったと考えられる。同年3月14日 那覇識名園、首里城視察。
以上の視察を通して近代的な空間、構築物を同定していくとともに、次年度にむけて図録を作っていく際のコンセプトに関して議論を始めている。

現在までの達成度 (区分)
現在までの達成度 (区分)

2: おおむね順調に進展している

理由

最終的に成果物として「図録大名庭園の近代」発刊を目指している。
そのための各庭園の近代的要素の調査は平成28年度で終了し、出版会社との交渉を開始している。当初の計画に沿っているといってよい。

今後の研究の推進方策

次年度は残された資料(写真、絵葉書)と同アングルの写真撮影収集と、さらに近代的要素として何を撮るのかを議論していく。

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公開日: 2018-01-16  

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