研究課題/領域番号 |
16H05938
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研究機関 | 都留文科大学 |
研究代表者 |
菊池 有希 都留文科大学, 文学部, 准教授 (70613751)
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研究期間 (年度) |
2016-04-01 – 2020-03-31
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キーワード | バイロン / カーライル / 北村透谷 / 『サーター・リザータス』 / 『蓬莱曲』 / 量的快楽主義 |
研究実績の概要 |
四年計画の初年度に当たる当該年度は、本研究全体を遂行するための基礎的な作業を行なった。 日本におけるバイロン書誌のデータベースの作成については、明治期から昭和前期までの日本におけるバイロン関連文献を調査、収集し、整理した。まだ、未調査・未収集のものがあるため、公にする段階には至っていないが、完成度の高いデータベースを作成するため、引き続き調査・収集・整理を行なってゆく。 イギリスにおけるバイロン受容に関する調査については、受容のありようの全体像を把握するため、特にヴィクトリア朝期のイギリス文学におけるバイロン受容の問題について論じた二次資料の読み込みを行ない、必要に応じて一次資料の精読を行なった。特に、「バイロンを閉じよ、ゲーテを開け」ということばを残し、バイロニズムの超克の必要性をいち早く主張していたカーライル作品の精読を行なった。 その結果、カーライルが、バイロニズムを自我意識の過剰と捉えつつ、同じく自我意識の過剰を促す量的快楽主義(ベンサム流の功利主義)の思考形態と重ね見ていることが明らかになった。このような見方は、一面的で偏ったものと言えるが、その後のヴィクトリア朝期におけるバイロン観・バイロニズム観に影響を与えた可能性がある。次年度以降のイギリスにおけるバイロン受容の研究を進めるための視座を得た。 また、カーライルのバイロニズム観が近代日本におけるバイロン受容に与えた影響を探ってゆく過程で、カーライルのバイロニズム観が表現された『サーター・リザータス』が、バイロンの『マンフレッド』からの影響の著しい北村透谷の『蓬莱曲』において、量的快楽主義に対する問題意識を軸に受容されていることが明らかになった。バイロン、カーライル、透谷という三幅対の具体像を描き出すための視点を得た。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
日本におけるバイロン書誌の作成については、いまだ未収集・未整理のものがあるものの、着実に進められている。おおむね順調と言える。 だが、イギリスにおけるバイロン言説については、重要文献の読み解きに想定以上の時間がかかり、それらを整理し秩序付けるには至らなかった。また、イギリスにおける文献調査も行なえなかった。これは、直接的には身内の入院という事情によるものであったが、イギリスにおけるバイロン受容の全体像の把握に努めることが先決と考えたためでもある。従って、当初の計画を変更し、二次文献の読み解きを軸として、バイロン受容を行なっている主要作品・主要文献の洗い出しに努めた。 一方で、次年度以降で詳しく検討する予定の、明治期の日本のバイロン受容とヴィクトリア朝期のイギリスのバイロン受容の関係性については、今年度の研究の成果により、北村透谷、バイロン、カーライルの間の複合的な影響関係を読み解くための鍵を得ることができ、一定の進捗を見た。 以上、当初の計画に比べ、部分的な遅れが見られるものの、全体的には大きく遅れているわけではないと判断される。従って、現在までの進捗状況は「やや遅れている」と自己評価する。
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今後の研究の推進方策 |
本年度、カーライルのバイロン観・バイロニズム観を精査する中で、カーライルが、バイロニズムを単なる自我意識の過剰と捉えつつ、同じく自我意識の過剰を生むベンサム流の功利主義の量的快楽主義と親和的なものと考えていることを明らかにしたが、これは、バイロンが『マンフレッド』において、自我意識の過剰を嫌忌する意識をも表現していたことを考えると、一面的な理解であったと言わざるを得ないものであった。このようなカーライルの特異なバイロニズム理解の問題性は、カーライルのバイロニズム超克の方法に関心を持っていた透谷にも影響を与えていると考えられる。実際、透谷は、『蓬莱曲』における大魔王を、ベンサム流功利主義の量的快楽主義の世界観・人間観を体現する存在として表象することで、カーライル流に矮小化されたバイロニズムを受容していた。 以上の本年度の研究成果を踏まえ、次年度は、カーライルのバイロニズム受容の歪みの問題を、バイロニズムとベンサミズムとのあいだの齟齬に注目しながら明らかにすることと、カーライルのバイロニズム理解が後のヴィクトリア朝期のバイロン受容に与えた影響や、近代日本の文学者(特に透谷)に与えた影響を精査することに専心したい。カーライルのバイロン受容の問題性を基点とすることで、バイロン受容の日英比較がより実証的に行なえるようになると考える。 また、自我意識の過剰の問題を考究するに当たり、チャールズ・テイラーの自我論が参考になるという見通しも同時に立てることができた。テイラーは近代的自我とロマン主義的自我を区別しているが、このテイラーの論は、バイロンにおける〈自我意識の過剰を嫌忌する自我意識〉の内実を説明する上で有効であると考えられる。次年度は、テイラーの自我論を援用しつつ、バイロンの自我表象の本質、及び、カーライルのバイロニズム理解の一面性について説明を試みたい。
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