本研究の目的は20世紀フランスの詩人アンドレ・ブルトンの詩学を明らかにし、その詩学がブルトンの活動全体とどのような影響関係にあるのかを解明することでブルトンという作家の総体の本質を探るものであった。今年度は、共著書『シュルレアリスムと抒情による蜂起』にブルトンの長編詩「三部会」の新訳を掲載し、同書掲載論文「線と糸との物語――アンドレ・ブルトンの『三部会』」ではその具体的な分析を行った。その結果、独自の言語操作を通して詩的言語を自由に展開し、結晶化した詩的イメージを通して思考を練り上げる詩人ブルトンの手法が浮き彫りになった。頭の中に先行するイメージを言葉で表現するのではなく、詩的イメージを通して思考するというブルトンの本質的な姿勢は、1930年代から彼の実践するポエム=オブジェにおいて特に顕著であり、学会発表「潜在的現実の現働化――アンドレ・ブルトンにおけるポエム=オブジェの詩学」ではその詩学の射程の解明を試みた。詩的言語を通過させることで、物質の持つもうひとつの姿(潜在的現実)を出現させるポエム=オブジェの詩学は、40年代以降には詩的言語を通過させることで現実世界を変容させる実践へとつながる。『秘法17』などにも見られるこの一種の〈詩的描写〉は、30年代半ばにブルトンの主張していたランボーとマルクスを一致させるという独自の世界変革理論を具体的に実践するものであった。『ナジャ』はしばしばブルトンの、あるいはシュルレアリスムの代表作として紹介されるが、以上のようなブルトンの独自性はまだ見られず、むしろキュビスムを含むモダニズムの影響の色濃い過渡的な作品と捕らえた方が、『ナジャ』の本質を正確に把握できるものと思われる。既存のブルトン像を根底から揺さぶるこの新たな視座を提示したのが研究集会発表「『キュビスム詩』の徴のもとに――アンドレ・ブルトン「ナジャ」の断片形式」であった。
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