匂いのブレンドを識別する神経機構を分析するため,鱗翅目昆虫のフェロモンコミュニケーションシステムを構成する嗅覚神経回路に着目し,神経生理学・神経解剖学的な分析を行った. カイコガBombyx moriはボンビコール単独で配偶行動を示し,近縁種のフェロモン成分であるボンビカールの混合によって行動の解発が抑制される.嗅覚中枢は機能単位である糸球体から構成される.単一糸球体型投射神経の単一細胞内記録を行い,ボンビコールおよびボンビカールとのブレンドに対する電位応答を計測したところ,両者の応答性には顕著な差が認められなかった.この結果は,ボンビカールによる行動抑制が,嗅覚受容器・一次感覚嗅覚中枢ではなく,上位の神経回路で起こることを示唆する. フェロモンブレンドを識別するもう一つの仮説として,複数の糸球体に分枝する多糸球体型投射神経の作用が提案されている.複数のフェロモン成分の入力を受けることで,ブレンドに対する識別能を有すると考えられている.両者の分枝形状を定量的に比較したところ,従来までに報告されている分枝領域およびサイズの差異に加え,糸球体内の樹状突起の分布パターン,軸索分布のグラフ構造にも差があることが分かった.多糸球体型投射神経の電気生理学実験を継続中である. 比較生物学的なアプローチとして,単一の化合物をフェロモンとして用いる種と,複数化合物をフェロモンとして用いる種において,嗅覚中枢の解剖学的構造の分析を行った.多くのガ類は複数成分をフェロモンとして用いており,単一の化合物を用いる種は少ない.この例として,カイコガおよびエビガラスズメAgrius convolvuliを調査し,その他の種と異なる形態学的特徴として,糸球体の局所的な拡大がみとめられることが明らかになった.神経系の形状に基づき,フェロモン成分の変化に伴う進化のプロセスを推定する可能性を見いだした.
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