本年度においては、明治23年から35年まで宮崎県に置かれた諸県御料地に関する史料調査を行った。具体的には宮内庁書陵部宮内公文書館・国立公文書館において、「明治22年地籍録」「明治35年経済会議録」などの往復文書群、御料地設置時点の意見書などがまとまった簿冊、諸県御料地に関する決算文書などを可能な限り調査した。更に、両館及び国立国会図書館憲政資料室において、御料地設定・処分に関わった政治家の書簡などを可能な限り収集し、公文書に現れない諸県御料地処分に至る理由などを突き止めようとした。 結果として、①御料地設置前の議論の中では、諸県のような天皇家の神話にまつわる地を御料地とすべきだという議論は少数派であったこと、②諸県御料地の収支決裁は極めて不成績でありそれを処分の原因とする議論は妥当であったこと、が明らかになった。 しかし、全体として同御料地に関する史料の残存状況が悪く、十分な議論を行うことが難しいこともまた今回の調査の結果明らかになったことである。具体的には①明治20年代の御料地を検討する際には極めて有益な史料であった「経済会議録」も、30年代に入ると決裁文書のみが残されるようになり、決裁に至るまでの参考書類が残されなくなったこと、②明治20年代の他地域の御料地に関しては「処分」反対派の中核として多くの議論を残した品川弥二郎を中心とするグループが、諸県御料地「処分」に関しては沈黙していたと思われること、③地元に残る御料地関係の史料のほとんどが保管されていると想定していた宮崎県林業技術センターが、御料地関係の膨大な史料を数年前に全て廃棄していたことが判明したこと、などがその内実である。 ただ、明治30年代の御料地や皇室財産、宮崎県下の林業などを研究する際に留意すべき史料の残存状況や史料の特徴を確認しえたという点では、わずかながら今後の研究に資するものであると考える。
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