①1880年代の御料地設置を求める議論の中では、伊勢や宮崎のような天皇家の神話にまつわる地を推す意見は少数であったことを明らかにした。②伊勢・志摩御料地(三重県)では式年遷宮の用材を供給するなど、伊勢神宮との関わりの深い経営がなされていたわけではなく、地元の需要に供する農業や林業が行われていたこと、諸県(もろかた)御料地(宮崎県)では、当時日本において重要な産業であった樟脳生産を目的とした樟樹栽培が行われていたことを明らかにした。③両御料地とも処分の原因は極端な赤字にあり、それに対する反対論は見られなかった。
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