平成29年度は、(ア)正徳3年(1713)中秋に室鳩巣と新井白石が交した漢詩と、(イ)室鳩巣が元禄~正徳期に制作した「和陶詩」の内、特に「擬古五首」を考察対象とし、室鳩巣の盛唐詩模倣における寓意の有無とその内容について検討した。その結果、武家(幕府・諸藩)に儒臣として仕官した者の多かった木門では、六朝・盛唐詩を模倣した際、しばしば理想の君臣関係を表現したことが明らかになった。六朝・盛唐詩を模倣した目的については、平安朝日本漢詩文を模倣し和習の多い漢詩文で理想の君臣関係を表現した林家に対抗し、和習がなく、同時代の海外(朝鮮・唐土・琉球)に劣らない正格の漢詩によって、徳川の世における理想の君臣関係を詠い上げる点にあった、と指摘した。 (ア)では、鳩巣と白石が、自身の詩作で李白の詩に由来する語や趣向を多用することで、主君(徳川家宣)を失った白石を、讒言に遭い朝廷を去った李白に喩えたことを論証した。ここでの盛唐詩の模倣は、現実の出来事に対する感興を、盛唐詩人の生き様や口ぶりに託して詠んだ寓意表現であり、必ずしも先行研究にいう「現実の遮断」とはいえないことを指摘した。 (イ)では、鳩巣が蘇軾に倣って陶淵明の詩に次韻した「擬古五首」で、六朝・盛唐詩を模倣しつつ、主君に仕える臣下の心情を古詩の形式(定型表現)に託して詠む、との寓意表現が見られることを論証した。特に行役詩と閨怨詩の形式を取る詩に、理想化された忠臣の心情を詠う寓意が読み取れる。寓意のあり方は、『文選』六臣注の他、北宋の湯東澗による淵明詩の解釈、朱熹の『楚辞』解釈などに拠ると考えられる。また、以上を踏まえ、平成28年度に検討を開始した鳩巣の辺塞詩は、赤穂事件をそのまま詠み込んだというよりも、時事に触発された可能性はあるにしても、まずは忠臣の理想像を示す寓意表現として解する方が適切であろうことが明らかになった。
|