スコットランド国民の国家意識の形成過程を探るうえで、スコットランドの起源の物語は極めて重要である。スコットランド人の始祖の物語を扱ったThe Mar Lodge TranslationのBook 1をボエスによるラテン語の原典およびジョン・ベレンデンのスコットランド英訳版と比較・考察した。 これまでThe Mar Lodge Translatorの歴史、政治や王権に対する考えは明らかにされてこなかった。それはこの翻訳者がラテン語の原典に忠実であり、自らの意見を作品の中に反映することがないと考えられてきたからである。しかし、Book 1の考察によって、この翻訳者がヒューマニズム的な王権への考えをもっていたこと、そして歴史という媒体を通してその王権に対する考えを主張していたことがわかった。その際に注目されたのは主に次の2点である。 まず、この翻訳者にはラテン語の原典で一語の副詞や名詞を強調する際に、必ず2語の言葉を組み合わせるという特徴が見て取れる。そして、王権に関する叙述においては、この2語の組み合わせに一貫して使用される単語がある。その単語から、翻訳者が国内の統一を国王の責務として重視していたことがわかった。 また、Book 1においてこの翻訳者には珍しいことだが、原典を大きく変更している箇所がある。これはThe Mar Lodge Translationのみにみられる変更である。当時、国王としての責務を全うしない国王を廃位するべきだという考え(resistance theory)がスコットランド国内にあったが、これを明言する人物は極めて少なかった。しかし、The Mar Lodge Translatorは歴史叙述という形を利用して、国民に有害な国王のみが非業の死をとげるという、原典とは異なる物語を提示している。ここにこの翻訳者の責務を果たさない国王への考えが読み取れる。
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