冷戦期の間、アメリカ文化外交、文化政策の目標は、共産主義イデオロギーの封じ込めと民主主義の理念の世界的な拡散にあった。だが、理念的な文化外交は、現実の政治、経済、軍事政策と常に調和するものではなく、肯定的なアメリカのイメージを世界に拡散する試みは、成功例よりも失敗例の方が多かった。アメリカ国内に見られる根強い人種偏見は、発展途上国の人々と現地に駐留するアメリカ人との間でも出現し、民主主義の旗手を自負するアメリカの威信を傷つけることとなった。さらに文化外交政策は、議会の予算削減、マッカーシズムの台頭という国内政治の制約を受ける場合も多かったのである。 本研究は、これらの冷戦期のアメリカ文化政策に共通する問題点だけでなく、沖縄固有の文化政策への障害として、軍用地強制徴収とその後の賠償問題や、軍事占領下での自治権の制限に対する住民の反発といった要素も考察し、軍・産・学複合体による大規模な文化政策が失敗した原因を包括的に解明した。また、本研究は、文化政策の要である対沖縄教育政策の変遷と東アジア冷戦の相関関係を明確にし、沖縄が敗戦国の占領地から同盟国の租借地に変わる中で、アメリカの高等教育政策が、以下の四つの目的、すなわち、1.民主主義を世界に広めるという人道目的、2.占領統治を長期化にするための沖縄の親米と離日の促進目的、3.英語力やアメリカ的価値観に精通した人材育成によるアメリカの占領負担の軽減目的、4.共産主義の拡大を防ぐための反共教育目的をもつ複雑なものである点を実証した。同時にこのような目標の多様化が、陸軍省のみならず、ロックフェラー財団やアジア財団という著名な民間財団、ミシガン州立大学という発展途上国での大学支援計画に実績のある高等教育機関を、事占領下の沖縄教育政策に積極的に関与させる動機になったことも明らかにした。
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