本年度は、前年度までに収集した太宰春台『律呂通考』の内容分析を行ない、荻生徂徠『楽律考』との関係性について検討するとともに、朱子学派において礼楽および楽律研究についてまとまった著作を残した蟹養斎に着目し、養斎を中心として徂徠・春台との比較を行なった。 太宰春台『律呂通考』は、楽律学に関する基礎的な知識(「五音定数」「十二律」「隔八相生」「十二律相生算法」「五声六律十二管還相為宮」)の紹介を行なったうえで、徂徠の楽律論の簡単な解説(「日本十二調」「人声十二等」「古譜」)が行なわれていることから、同書は徂徠の『楽律考』の入門書としての役割を担っていたのではないかと考えられる。 蟹養斎については、これまでに入手していた資料に加え、新たに名古屋市蓬左文庫へ赴き入手した資料を使用することにより、蟹養斎の礼楽および楽律研究に関する体系的な検討を行なった。その結果、養斎は二学四座の「久学」において『儀礼経伝通解』や『律呂新書』を通して楽を学ぶとともに、日本に伝わる唐楽(雅楽)にも親しむべきだと述べており、実際に『日本楽説』や『猿瞽問答』「猿楽論」などを著わし、日本の雅俗双方の楽を分析していたこと、そして、礼楽の普及を通して、修己にのみ心を尽くす当時の儒者たちに、治人の重要性を認識させようとしていたことが判明した。 日本の宮廷音楽(雅楽)については、徂徠学派が積極的に評価していたのに対して、朱子学派は当初「隋唐燕楽」として雅楽ではないとの見解を示していたが、養斎は「雅楽」も少しは伝来しているとの見解を示しており、徂徠学派と同様、日本の宮廷音楽を積極的に活用しようとしていた点において共通性が見出せる。このように、日本の宮廷音楽を儒者が理想とする「雅楽」として利用しようとしたからこそ、日本の宮廷音楽の儒教化・雅楽化が生じたのであろう。
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