研究課題/領域番号 |
16J04951
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研究機関 | 京都大学 |
研究代表者 |
曽我部 和馬 京都大学, 教育学研究科, 特別研究員(DC1)
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研究期間 (年度) |
2016-04-22 – 2019-03-31
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キーワード | ラルフ・W・エマソン / スタンリー・カベル / 教育哲学 / セクシュアル・マイノリティ / セクシュアリティ / 強い個 / もうひとつの政治性 / 自己知 |
研究実績の概要 |
本研究は、エマソンの系譜にあるアメリカ哲学、特にカベルの思想から導かれる「強い個」の概念を手がかりに、セクシュアル・マイノリティをめぐる現代的問題を再考する。マイノリティの権利を保障して政治的解決を図る従来の「支援型アプローチ」に欠けていた、彼ら自身の変容を問う視点からの「教育的アプローチ」を相補的に確立することで、マイノリティ個々の生き方の位相を含み込む「もうひとつの政治性」を構築し、アメリカ哲学の蔵する実践的意義を再発見する。 平成28年度は、カベルの「エマソンの道徳的完成主義」がマイノリティ問題に持ちうる意義を探究し、国内学会「アメリカ哲学フォーラム」、国際学会「International Network of Philosophers of Education」にて成果を発表した。そこで「強い個」がこのままでは個人主義に回収されかねないという指摘を得た。また指導教員齋藤直子准教授の仲介のもと、「アメリカ哲学フォーラム」にて基調講演を務めたバーンシュタイン氏と交流する機会があり、デューイの実践性をめぐる思想に触れた。そこから、カベルの主張するデューイとの差異を明らかにすることで、それぞれの実践性を浮き彫りにするという着想を得た。さらに、諸学会を通じ交流した研究者間でデューイ研究会を開催している。 他方、セクシュアリティ論の基本文献として、バトラー、フーコー研究に着手した。バトラーはカベルと同様オースティンに依拠していることから、エマソン哲学とセクシュアル・マイノリティ問題との理論的接点を発見した。またフーコーによる言説分析は、上記「支援型アプローチ」の限界を暴きえているものであるにもかかわらず、政治実践の現状はこれを正確に受容できていないことを露呈している。このアポリアからの突破口を、上述の理論的接点を足がかりに「もうひとつの政治性」に見出すことが、今後の課題となる。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
主な理由は、齋藤准教授監修のもと、彼女の共同研究者であるスタンディッシュ氏の著作『過剰な思考』の翻訳に携わっており、その作業に時間を要している事情にある。とはいえ本作業は、難解な哲学のテクストを読解する訓練の場となっていると同時に、この過程で、テクスト読解というもの自体が、語どうしの連関やそれらの歴史、文法の精密さとそれを通じて立ち現れてくる意味等に対する、言語への深い関わりを要する営みであることを改めて学んだ。それは、翻訳が二言語の往還であるために、訳者が言語の深みに触れることが不可避となることに加え、スタンディッシュ氏のテクストそのものが、まさにそうした言語の側面を描き出すことを意図しているからである。そしてスタンディッシュ氏は、カベルをはじめとした現代言語哲学を論じる教育哲学家である。翻ってカベルの思想を真に理解するうえでも、その言語ひとつひとつを紐解くべく、多大な時間をかけてテクストに向き合う必要があることを再認識したのであり、したがって当初の研究計画の進捗を見直すに至った。
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今後の研究の推進方策 |
前年度の研究から、以下の問題意識を得た。現代のセクシュアリティ論の嚆矢であるフーコーおよびバトラーは、概して性の本質化を批判しているが、一方で現代のセクシュアリティを取り巻く言説は、いわば「性を本質化しない態度を本質化する」という堂々めぐりの事態に陥っていると分析できる。バトラーはこの誤謬を否定的には指摘しているが、肯定的な形で提示できているとは言いがたく、まさにこの点に、現代における彼らの思想の不正確な受容が起因していると推測される。そしてこうした問題圏の視座からカベルの哲学を紐解くと、言説の堂々めぐりの構造に対するオルタナティブを提唱したものとして読解しうることが分かる。 かくして今後の研究の推進方策としては、カベルの大著『The Claim of Reason』で貫かれる自己知(self-knowledge)の問題に関わる言語観の解明に着手する。そしてそこから導かれる、言語との関わり直しを通じた自己変容の在り方をもとに、マイノリティ問題への「教育的アプローチ」を確立する。これによって、バトラーらの論じる問題圏を体系的に語り直すことを目指す。具体的には、1.カベルの自己知をめぐる体系についての論文、2.バトラーらとカベルとの思想史的接点からそれぞれのフィールドの理論的架橋を試みる論文、の二本を投稿する計画である(うち一本は英語にて執筆する)。また一方で、セクシュアリティ論自体を(エマソン)哲学の観点から批判的に考察する試みは、未だ十分に確立されている方法ではない。したがって、本研究のポジションを明確にすべく、教育/哲学やジェンダー関連の諸学会への出席や、京都大学とUCL(University College London)で共同開講されるセミナー「国際教育フロンティアC」の受講等を通じて、国内外の先端の知見を吸収しつつ、研究者間のネットワークを形成することにも努める。
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