研究課題/領域番号 |
16J05960
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研究機関 | 京都大学 |
研究代表者 |
岡島 陽子 京都大学, 文学研究科, 特別研究員(DC1)
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研究期間 (年度) |
2016-04-22 – 2019-03-31
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キーワード | 女官 / 後宮十二司 / 日本古代史 / 後宮職員令 / 内廷官司 |
研究実績の概要 |
二年目である今年は一年目の研究成果を文章化することに務めるとともに、本年度の目標として、女官組織の基本となる後宮十二司と男官の共労関係を分析し幅広く分析することで、女官制度の変化を捉えなおすこととした。 令制内廷官司との関係は、『令集解』をもとに共労関係を分析していくと以下のように分類できる。内廷官司である内蔵寮・図書寮・内薬司が扱う品物を内裏内で保管管理する蔵司・書司・薬司などの①「其実可収此司」型、造酒司・縫殿寮のもとに出向いて生産を行う酒司・縫司などの②「與男官共預知」型出向タイプ、主殿寮・内掃部司・主膳司など内廷官司と同様の職務を行うが、行う“場”に別がある殿司・掃司・膳司などの③「與男官共預知」棲み分けタイプである。女官は殿上で男官は階下を奉仕の場としており、明確な差が確認できる。 次に「所々」と蔵人所との関係を見ていく。九世紀前半に成立した進物所は十二司の膳司と内廷官司と共に③タイプの関係であった。一方九世紀末に成立した御厨子所・御匣殿・糸所はそれぞれ膳司・縫司・蔵司と同一の職掌を担っていたが、女官と共労関係にあったことは確認できない。むしろ十世紀ごろには女官の担っていた職掌を侵食していったことが確認できる。また蔵人所との関係を見ていくと内侍所を除くと女官との間に指揮関係が生ずるのは十一世紀を待たねばならない。除目に蔵人が関わるのも同時期とされる。これはすでに後宮十二司が解体された時期である。 以上の分析より、九世紀の女官は後宮十二司という枠組みを重視し、従来通りの令制内廷官司との共労関係を営んでいた一方で、九世紀末に成立した天皇により近い家産機関や蔵人所とは結び付かなかった。その結果天皇との関係を重視する諸制度の発展の中で取り残されていった。この流れの中で女房の成立と十二司の解体を考えていく必要があるという結論を得た。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
研究課題として「女官の職掌と統属関係の解明」「女官の叙位、任官、給与制度の分析」「女房と女官の関係性の解明」の三項目を設定しており、採用期間三年間のうち一年ごとに一つのテーマを研究していくこととしている。二年目である本年度は「女官の職掌と統属関係の解明」を中心に分析を行った。 『令集解』の詳細な分析と男性官司とのかかわりに関する分析により、課題については概ね達成しえたと評価する。 ただし、文章化し公表する段階まで至っていない点で、計画以上の進展とは評価できないと考える。
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今後の研究の推進方策 |
三年次である今年度はこれまでの研究成果の深化と研究の文章化に務める。 研究の課題としては「女官の叙位、任官、給与制度の分析」を設定し、分析に務める。特に令に定められた後宮十二司の組織構造と後宮十二司と別に位階区分として存在する「命婦」身分を研究対象に据え分析を行う。 「命婦」については、後宮十二司の五位相当職事に対し五位女官が多いことから、内命婦でありながらポストにつかず天皇や皇后らに近侍する女官の存在がすでに角田文衛氏(一九七三年)らによって指摘されてきた。命婦という身分は、女官組織の中でその重要性は疑いないが、令制下においていかなる特質をもった称号であるか、また後宮職員令宮人条に規定された後宮十二司といかなる関係にあったか、また平安時代以降の女房身分の中の「命婦」にいかにつながるかは、いまだ明らかになっているとはいえず、検討の対象とする。 その際奈良時代においては分析史料として「正倉院文書」を設定し、平安時代においては十~十二世紀の女官の叙位の先例をよく残した「空勘問草」(京都大学附属図書館蔵)を利用し、検討を加える。また比較検討のため男性官人の叙位・任官史料である「十年労帳」や「外記勘問」などの史料を合わせて検討し、男女官人の制度の相違を明らかにする。
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