研究課題/領域番号 |
16J07154
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研究機関 | 京都大学 |
研究代表者 |
濱田 武志 京都大学, 文学研究科, 特別研究員(PD)
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研究期間 (年度) |
2016-04-22 – 2019-03-31
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キーワード | 言語学 / 比較言語学 / 中国語学 / 分岐学 / 漢語系諸語 / 粤語 / 系統樹 / 非漢語 |
研究実績の概要 |
本年度は、華南を代表する漢語系諸語(中国語諸方言の総体)である「粤(えつ)語」の成立過程・分岐過程を復元するために、①中国大陸にルーツを持つ、ベトナム国内の少数民族「瑤(ヤオ)族(ベトナム名「ザオ族」)」が持つ漢字音研究のための基礎調査と、②『蒙古字韻』と呼ばれる書物に反映された過去の方言種の音韻体系に対する言語学的・中国語学的分析を行った。 ベトナムのラオカイ省サパ県に於いて、瑤族(ベトナム名ザオ族)の言語の一種である「勉(ミエン)語」の基礎語彙の聞き取りを行い、同時にサパ県の言語状況や言語文化(漢字文化)継承状況について調査を行った。サパ方言が中国南方の国境地域から東南アジアにかけて分布する、最も分布面積の広い言語種の一つであることが判明している。サパ及びその周辺の方言に見られる漢字音は、ある時期に中国大陸の南方で体系的に獲得された蓋然性が高く、華南の漢語系諸語の言語史や系統関係の解明に直接的に寄与する可能性がある。 また、漢語系諸語の系統樹を分岐学的に推定するために必要な「外群(outgroup)」の候補の一つに、北方系の「官話」と呼ばれる大集団が挙げられる。しかし「官話」の内部は多様であり、系統的単一性を予断し難いことが明らかになった。そこで、系統推定の際に官話を外群として活用できるようにするために、元代の韻書『蒙古字韻』の音韻体系を推定しなおす作業を行った。先行研究で指摘されていない、隋唐代の体系(中古音)から近代への過渡的性質がいくつか確認され、北方系の漢語系諸語の言語史推定の精度を上げる足掛かりを得ることができた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本年度は、粤語を含めた漢語系諸語の系統推定を行う前段階として、系統推定の信頼性を向上せしめるための準備に注力した。粤語の姉妹群の候補の一つである官話は、その多様性、ひいては多源性が以前より指摘されてきた。官話の系統を分岐学的に論じたBaxter(2006)も、官話に属する全変種の共通祖語が非官話の変種にとっても遡り得る体系であること、そして、「官話」と分類される変種の集合が系統的に単一でないことを主張している。 「官話」とされる各地の方言を精査すると、Baxter(2006)が想定する共通祖語がもたない保守的特徴が痕跡的に残存する例が見られた。官話の系統論は、分岐学的分析を実践する以前に、まず共通祖語の再建の問題から見直す必要がある。現代の官話の比較言語学的研究を実践する前に、中国大陸北方の変種を表音文字で記した音韻資料『蒙古字韻』の分析に取り組んだ。『蒙古字韻』は膨大な研究蓄積を誇る対象ではあるものの、今日なおその音韻体系に対して見解が一致しているとは到底言い難い。従って、官話の現代の変種を比較言語学的に分析するのに先んじて、『蒙古字韻』に着手する必要が生じた。 また、ミエン語について今後の本格的な漢字音調査を行うためには、基礎語彙の記録・記述と、得られたデータから音韻体系を構築する作業とが不可欠である。これは、ミエン語話者の漢字音は複数回、しかも異なる変種から受容されている可能性があるためである。おおむね当初の計画通りに、記述言語学的研究が進展している。
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今後の研究の推進方策 |
第二年度以降は、まず官話の祖語を再建し、その成果に基づいて官話の系統樹を推定する。粤語での実践例と同様に、官話でも祖語再建と系統仮説とを互いに参照しあいながら、仮説の信頼性を高める作業が必要になると考えられる。このとき、『蒙古字韻』の体系は官話の外群として機能することが期待されると同時に、得られた系統樹が示す言語史の妥当性を言語学的・中国語学的に検証するための根拠としても活用される。 そして客家語の系統樹もまた、同様の方法で推定する。Baxter(2006)では江西省の漢語の一変種が官話と近縁である可能性が指摘されているが、しかしこの変種が属する「カン(gan4)語」は客家語との密接な関係が指摘され続けている。また、広東省中央部から東部にかけて、客家語の特徴と粤語の特徴を兼ね備えた変種が存在することも既に知られている。従って客家語の系統樹は、官話や粤語とも併せた大域的な系統推定を行うまで、厳密な推定を完遂することが難しいと予想される。 ミエン語については、特に語彙の記録と記述に重点を置いて、言語調査を継続する必要がある。調査地サパの変種を含む集団は、比較的遅い年代に各地に拡散したと考えられており、音韻体系のみからその起源を考察するには限界がある。また、吉野(2016; 2017)などでも指摘されているように、ミエン語には日常語とも漢字文書の読経音とも形式を異にする、歌謡語と呼ばれる語彙――漢語系諸語からの借用語を多く含む――が存在することが知られている。歌謡語の正確な分析を期するためにも、語彙の調査が不可欠である。
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