研究計画においては、18世紀フィレンツェにおけるトスカーナ大公レオポルド一世とルイージ・ランツィの活動を精査する予定であった。しかし、昨年度予定していた17世紀フィレンツェにおけるレオポルド・デ・メディチ枢機卿とフィリッポ・バルディヌッチの活動に関する研究がほぼ手つかずであったことを重く見て、今年度は昨年度完了できなかった後者の課題を遂行することとした。 『素描美術家たちの消息』(以下『消息』)は、フィレンツェで素描コレクションを管理していた鑑定家バルディヌッチが、ヴァザーリの『美術家列伝』をアップデートするかたちで出版したものである。バルディヌッチは『消息』の執筆に際して、素描の鑑定の際には作品を自分の目で直接観察することが肝要であると述べている。報告者はここに同じく作品の直接性を重要視したヴァザーリの影響を指摘した。というのも、ヴァザーリもまた多くの美術家たちの素描を集めたコレクターであり、それを見るように促す記述が『美術家列伝』に頻出するからである。 ヴァザーリが作品の直接性を重要視したことは、彼の「素描集」からも読み取れる。そこで彼は、素描をページに貼り付けるのみならず、その周辺をさまざまな枠で装飾し、まるで聖遺物のように扱っているのである。つまり、素描が実際に美術家の手によって触れられ、描画されたという事実は、ヴァザーリにとって非常に重要であったのだ。一方、バルディヌッチは制作時よりも観察における直接性に意識を向けている。彼は著書のなかで作品を観察することを「目で触れる」と表現し、実際の素描がほどこされた紙に鑑賞者が(視線で)触れることに重きを置いた。これらの読解から報告者は、美術家が手ずから制作した素描を、鑑賞者がまた触れるように享受することで、美術家の「聖性」が継承されるとバルディヌッチが考えたのだと結論した。
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