前年度に引き続きエマニュエル・レヴィナスの「エロス」概念についての研究を行なった。本年度はとりわけ「顔」の概念が1950年代のレヴィナスの理論変遷のなかでどのように展開されたのかを明らかにするため、1951年の論文「存在論は根源的か」においてレヴィナスが自らの「顔」の概念とカントの実践哲学との近しさを表明した一節に着目しつつ、カントの実践哲学における自律の思想とレヴィナスの他律の思想との異同を検討した。その結果、1950年代に展開されるレヴィナスの「顔」の理論は、1940年代にかけて構築された「エロス」の理論の乗り越えとして構想されると同時に、プラトンからカント、ハイデガーに至るまでの西欧哲学における「自律」の伝統に対する抵抗の言説として構築されていることが明らかになった。レヴィナスの述べる「対面」とは「非人称的な法の制定に不可欠な条件」としての相互聴取の契機であり、「顔」は計算可能なものの水準で働く理性とは異なる次元に位置付けられる倫理的抵抗である。このような次元で発せられる「命令」は未来や持続を考慮する直接法で書かれた命令(=成文法)とは異なり、むしろ硬直していく制度的なものに絶えず計算不可能な亀裂を開示することで、共同体を普段に刷新していく機能を担わされている。このように1940-1950年代のテクストを通時的に読み解くことで、『全体性と無限』(1961)やそれ以降のテクストを分析するための理論的基礎が得られた。1940年代および1950年代という二つの時代に練り上げられた「エロス」と「顔」の二つの理論が1960年代以降どのようにしてレヴィナスの思想の中で展開されていくかを検討することが今後の研究課題である。
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