研究課題/領域番号 |
16J09637
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研究機関 | 横浜国立大学 |
研究代表者 |
鈴木 佑也 横浜国立大学, 都市イノベーション研究院, 特別研究員(PD)
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研究期間 (年度) |
2016-04-22 – 2019-03-31
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キーワード | 全体主義建築 / 都市計画 / 政治と建築 / 対外文化交流 |
研究実績の概要 |
本年度の研究実績として、昨年度(平成28年度)にまとめた近代主義建築国際会議(以下CIAM)とソ連建築界との交流に関するテーマ枠組みを基にして、対象とする時代の政局および社会状況とこの両者の交流の繋がりを明らかにした。 具体的には昨年度の研究蓄積からCIAM側とソ連建築界の繋がりをほぼ把握したので、本年度は両者によって企画された国際建築会議(第4回CIAM国際会議:於モスクワ、1933年)が頓挫した理由の究明をソ連の政治状況と照らし合わせて文献調査を行い、昨年度扱った論文の再検証を行った。都市計画と関連した当時の政局および政治状況の把握をするため一次資料をロシアのアーカイブで長期滞在の際に収集した。さらに政治家や彼らが所属する政治機関が政治または政策決定でどのように作用したかに関しては“Polibjulo Mekhanizmy politicheskoi vlasti v 1930-e gody”(1996, Moscow: ROSSPEN)に依拠して整理を行った。 ここから理解できたのは、共産党主導の都市計画と都市経営実現に向けて政局が動いていたということである。都市計画及びそれに関する建築設計に対する強権的な政治介入の宣言がソ連共産党中央委員会総会で行ったL.カガノヴィチの報告を基にして1931年に出版された書籍『モスクワとソ連諸都市の社会主義的再編に向けて』で公となり、第4回CIAM国際会議の準備はまさにこの急転の中にあった。この会議の準備に携わっていた政治家が失脚し、後ろ盾を失ったソ連建築界側は、前年度でまとめたように都市に対する考え方の相違もあって「準備不足」という理由でこの会議の延期をCIAM側に通達していたことが明らかとなった。こうした成果を日本ロシア文学会にて学術報告として口頭発表した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
「研究実績の概要」で述べたように、CIAMとソ連建築界の交流のピークとなった第4回CIAM国際会議準備段階で「社会主義都市」というソ連側の都市計画のコンセプトが、共産党政府主導の都市計画および都市経営をめぐる政局の動きに大きく影響を受けていたことが理解できた。 これは、この会議の準備段階が第一次五カ年計画において議論されていた農業の集団化と重工業化を推進する時期であり、この方針に反対するいわゆる「反党グループ」が排除され始める時期でもあった。このグループの一員に党の政治局員アレクサンドル・スミルノフがおり、彼は第4回CIAM国際会議準備の組織を統括する役職に就任していた。彼が政治局から追放される1932年11月以降に、国際会議実現の本格的な話し合いがCIAM側とソ連建築界側との間で始まるが、政府の最終決定を得られないまま進められ、最終的に頓挫することになった。 さらにこの交流において議論のたたき台となるはずであった「社会主義都市」というコンセプトは、このコンセプトは第一次五カ年計画による重工業中心の政策と農業集団化に関連し、それに合わせる形で労働人口の再分配や原料調達と加工そして生産を一つの場所に集中させる都市計画であったため、そうした政局の覇権争いで議論の的となりやすかった。こうした政争の具にさらされるテーマは、党の方針に従って建築および建設計画を立てる建築家達にとって焦眉の問題であり、その態度如何によって計画したプロジェクトが中止となるだけでなく、自身の進退に関わる問題でもあった。こうしたことが、対外的には近代主義建築に理解があるというソ連建築界の態度を変化させ、近代主義建築を支持する国外団体や建築家との交流が縮小されていったことへ結びついていた。 以上の点をまとめた論文の執筆を現段階で取り掛かっている。
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今後の研究の推進方策 |
「現在までの進捗状況」から、CIAMとソ連建築界の交流に関してはまとめることができたため、平成30年度はUIAとソ連建築界の交流に関する調査を行うことになる。CIAMとソ連建築界の調査および研究において、政局での動きが対外文化交流においても影響を及ぼすということが理解できた。この点をUIAとのソ連建築界の交流を調査する際にも取り入れ、UIAが発足する1947年からモスクワでの国際会議が実現する1956年までの都市計画及び建築関連政策とそれに関連する政治家達の党内での影響力、力関係などを、この時期を対象とした政治学分野の先行研究を用いながらまとめて行く。 また、上記の時期に関するソ連建築の潮流に関する先行研究を基にして、平成29年度にロシアのアーカイブで収集したUIAとソ連建築界の交流に関する資料を照合させる。このことによって、この交流が当時のソ連建築界に与えた影響とソ連建築界の潮流がこの交流に及ぼした影響を把握し、そうした相互影響の中のどのようなトピックが最終的にモスクワでの開催において扱われるテーマへと至ったのかという経緯を調査する。この点をまとめたものを学術成果として報告を行い、年内に論文というかたちで発表することを目標としたい。 平成30年度は本研究の最終年度でもあるため、この二団体を通じて1930年代から1950年代におけるソ連建築界が近代主義建築というものをどのように把握していたのかを明らかにする必要がある。この点は、既に述べてきたような政局との関連、そしてこの二団体の交流の中で最も盛んに議論または意見交換がなされたテーマから調査及び分析を行う。
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