研究課題/領域番号 |
16J11131
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研究機関 | 東海大学 |
研究代表者 |
井出 匠 東海大学, 文学部, 特別研究員(PD)
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研究期間 (年度) |
2016-04-22 – 2019-03-31
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キーワード | スロヴァキア / ハンガリー / 東欧近代史 / ナショナリズム / 国民化 / メディア研究 / 社会運動 / フレーム化 |
研究実績の概要 |
2016年度は、米国の社会運動理論における「フレーム化」という概念に着目しつつ、20世紀初頭のスロヴァキア国民主義の言説が、人々の社会認識の構築に効果的に作用するフレーム(国民的フレーム)として機能し、広範な影響力を獲得していく過程(国民化)の検証に取り組んだ。具体的には、国民的フレームの共有化プロセスにおける主要なツールとなった印刷メディアとしての新聞に着目し、その一つとして1903年に創刊された『スロヴァキア週報』を取り上げた。とりわけ、フレームの共鳴/調整の場として機能した集合的な言説空間の例として、同紙の主要な記事である論説と、一般読者が自身の属する地域共同体(自治体)の社会的・政治的状況について書き送った読者通信の分析を試みた。その結果、さしあたり以下の結論を得た。 論説においては、「スロヴァキア人」といった国民的カテゴリーで一括される人々の権利が、ハンガリー王国の支配階層によって抑圧・侵害されているというレトリックが用いられていた。一方の読者通信には、自治体運営に介入する地方行政当局者などが、「スロヴァキア人」の抑圧者、敵対者として数多く登場する。すなわち、論説において国家レヴェルの政治的・社会的文脈と関連づけて提示された国民的フレームが、読者通信では地域社会の文脈に応用されていたといえる。さらに読者通信には、ローカルな支配層を指す「旦那衆」というカテゴリーが登場し、「スロヴァキア人」の敵対者として扱われている。この「旦那衆」を集合的利害主体である“我々”の抑圧者・敵対者として位置づけるフレームは、国民的フレームの登場以前にすでに民衆の間に存在していた。ここから、国民的フレームが国民主義者の言説によって提示され、その受信者たる読者層によって共有化されていく過程で、後者の間ですでに定着していた既存の諸フレームとの共鳴/調整の関係が成立していた点を指摘しうる。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
2016年度は、20世紀初頭のスロヴァキア国民主義運動による北部ハンガリー住民を対象とした「国民化」の取り組みについて、ナショナリズム研究の最近の動向や米国の社会運動理論などを参照しつつ、「フレーム化」という独自の視点から分析を試みた。主な分析対象としたのは、新聞を中心とするスロヴァキア語の印刷メディアであり、加えてハンガリー王国内務省資料等の未刊行史料も適宜参照した。 年度前半の2016年4月から8月にかけては、ナショナリズムや社会運動に関する理論的研究に取り組んだ。その後、9月前半にスロヴァキア国内の文書館・図書館において行った資料収集の成果をもとに、年度後半には上記資史料の分析を行った。さらに、こうした理論・実証両面での研究において得られた知見をまとまった形にして公表すべく、学会・研究会での報告や、論文の執筆を行った。研究報告は、2016年5月の日本西洋史学会第66回大会、同年11月の歴史学研究会近代史部会2016年度秋例会、2017年2月の2016年度仙台中東欧研究会などにおいて行った。論文の執筆は、2016年10月から12月にかけて行った。同論文「20世紀初頭のスロヴァキア語印刷メディアによる「国民化」の展開―スロヴァキア国民主義系新聞『スロヴァキア週報』の分析から―」は、2017年5月に書籍として刊行予定の論集(井内敏夫編『ロシア・東欧史における国家と国民の相貌』晃洋書房)に収録されることとなった。 以上に述べた研究進捗状況に鑑み、本研究課題は、これまでのところおおむね順調に進展していると考える。
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今後の研究の推進方策 |
これまでの研究により、「国民化」のプロセスにおいては、先行する諸フレームと後発の国民的フレームとの間に、集合的な言説実践や民衆動員の場における競合、接合または共鳴/調整といった相関関係が存在していた可能性が示された。今後は、この観点をいっそう確実なものとすべく、引き続き上記の関係性についての論証作業に取り組む予定である。これに際しては、上記の「フレーム化」理論に加えて、二宮宏之らによる「エトノス」と「ネーション」の関係性についての議論も取り入れていきたい。 二宮によれば、エトノス(アプリオリな日常世界の場において、言語・宗教・慣習といった文化的契機を紐帯とする、社会的結合の次元)と、ネーション(エリートのヘゲモニーにより「上から」もたらされ、何らかのイデオロギーのもとで政治的統合の機能を発揮する擬制/作為的な集団概念:政治的支配の次元)は、原理的には結合の方向性を異にする概念である一方で、必ずしも対抗的な関係にあるのではなく、むしろ相即的な、互いに交錯する関係にあるとされる。ただしこの場合、エトノスをネーションに比してより本質的な、非歴史的な概念とみなすべきではなく、むしろ中・長期的な発展プロセスにおける歴史的形成物、歴史的状況の産物として理解することが必要となる。 以上から敷衍するならば、エトノスとネーションの相即的関係を、上述の既存フレームと国民的フレームとの共鳴/調整関係として捉えなおすことが可能である。ただしこれまでの研究では、このエトノス=既存フレームについて、上述のごとく歴史的な形成物として把握する視点が不十分であった。これを補うためには、20世紀初頭にスロヴァキア国民主義運動が活性化する条件となった歴史的文脈、とくに19世紀後半以降のハンガリー王国における政治的・社会的な民衆動員の実態を把握する必要がある。2017年度は、とくにこの課題に取り組んでいきたい。
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