本研究の主たる目的は、1980年にスウェーデンで行われた「原発廃棄に関する国民投票」が、その後のエネルギー関連技術開発や原発の安全性に与えた影響に関する分析である。文献調査、現地での聞き取り調査等から、電力需要を抑制しなければならなかったにもかかわらず、電力価格を低い水準にとどめ、また石油代替を重視しすぎて石油を利用した家庭用暖房を電力暖房への転換を促すなど、1980年代のエネルギー政策に整合性がなかったことを明らかにした。また、1980年代後半の地球温暖化問題への関心の高まりは、最も現実的な代替電源である天然ガス火力への転換を事実上不可能にした。再生可能エネルギーについては、日本などと比較して、研究開発投資のGDPに対する比率は大きかったが、市場の拡大・普及につながるような政策手段は十分ではなかった。結局、1980年代には2010年までの原発廃止を実現を可能にするような政策を導入することはできなかったといわざるを得ない。 原発廃棄が決定したことにより、原発関連分野に若い学生が参入しなくなることで、バックエンド技術や安全性技術維持のための研究開発が衰えるという危険性は、政府内でそれほど考えられていなかったと思われる。1980年代から90年代にかけて、原発関連分野に進むスウェーデン人学生が大幅に減少したが、留学生は減少しておらず、それがスウェーデンにおける原発の安全性等に影響を与えたか否かは、今後より詳細な検討が必要な課題である。また、スウェーデンの原発関連技術の維持・発展に対して影響を与えたのは、1980年の国民投票よりも、1987年の「原子力活動法」の改定の方が大きかった可能性があることも明らかになった。
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