本研究では、第二次世界大戦直後の引揚女性に対する組織的な人工妊娠中絶について、政策史・制度史的な検討を行った。結果は以下の通りである。第一に、終戦直後の帝国議会および政府は、引揚女性の支援と優生学的観点からの性病予防および混血児出生防止の必要性を強く認識していた。第二に、厚生省は全国の地方引揚援護局と国立病院・国立療養所のネットワークを活用して、引揚女性を対象に性病検査と中絶を実施していた。第三に、厚生省は、「不法妊娠」(暴行による妊娠)という理由では中絶を正当化できず、医学的理由(母体保護)の拡大解釈により違法性の阻却を図った。1948年の優生保護法成立はその矛盾を解消する役割を果たした。
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