研究課題/領域番号 |
16K01655
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研究機関 | 大阪成蹊大学 |
研究代表者 |
寳學 淳郎 大阪成蹊大学, 教育学部, 教授 (70313822)
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研究期間 (年度) |
2016-04-01 – 2021-03-31
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キーワード | 社会主義国家 / 東ドイツ / スポーツ振興 / スポーツ関係規定 / スポーツ史 |
研究実績の概要 |
本研究は、社会主義国家との模範と言われ、スポーツ分野でも世界の注目を集めたドイツ民主共和国(東ドイツ)のスポーツを政策的側面から検討するものである。社会主義国家を建設するために、東ドイツは政治、経済、教育などあらゆる面で統一的で計画的な政策を遂行してきたが、スポーツにおいても国家及びドイツ社会主義統一党(SED)の強い関与があったと考えられるからである。 社会主義体制の歴史は、まず理念が出され、それを「社会主義建設」という名で実現していた経緯があるので、社会主義国家におけるスポーツの分析は、理念と現実との関係を明らかにする作業は欠かせない。これは旧社会主義国家における建前と本音の区別をするというだけでなく、現存する社会主義の可能性と限界を明らかにするという重要な課題をも解くことになるからである。昨年度以下を発表した。 1.寳學淳郎、東ドイツにおけるスポーツ振興の理念・方策とその実現に関する研究-1956年末のスポーツ状況-、2019年8月、東北アジア体育・スポーツ史学会第13回大会(台湾:台東大学)論文集pp.33-35 (概要)東ドイツにおいて政権政党であったSED、国家的機関、大衆団体であるスポーツ統括団体などによって出されたスポーツ関係規定に示されるスポーツ振興の理念や方策が、どの程度まで実現されたのかを東ドイツが建国した1949年から1956年末までを中心に検討した。結果、1956年末まで、東ドイツは、児童・青少年スポーツ、大衆スポーツにおいて会員数などで停滞し、競技スポーツにおいても西ドイツに追いついていない状況にあったことなどが明らかとなった。スポーツ振興の理念・方策が実現できなかった理由については、児童・青少年スポーツにおける指導者の不足、競技スポーツの若干の種目におけるトレーナーの割合の低さ、スポーツ教員、運動指導者の養成の遅れ、十分でない資金調達等が窺われた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
異動した大学にまだ慣れていないこと、新型ウィルスの拡大によって資料収集が予定通りに進まなかったことによりやや遅れている。推進状況は次の通りである。1.資料の選定と収集:「東ドイツにおいて政権政党であったSED、国家的機関、大衆団体であるスポーツ統括団体などによって出されたスポーツに関係する諸規定に示されるスポーツ振興の理念や方策が、どの程度まで実現されたのか、それがどのように変容したのかを、東ドイツが建国した1949年から1970年までの時期を中心に、ドイツ連邦公文書館所蔵資料を手掛かりに明らかにし、その背景を検討する」という本研究の課題を解決するため、令和元年度では、第一に、DR5文書の東ドイツの主なスポーツ関係規定に直接関連する資料を収集し、第二に、目録シートの①国家委員会及び内閣官房の指導と組織、②計画と報告の資料を主に収集予定であったが、十分ではなかった。2.資料の分析:令和元年度は収集した史料の分析を中心とした。資料の保管状態が悪く解読が困難な箇所もあったが、特に、1950年代後半から1960年までの史料を分析した。3.学会発表:予定通りに海外発表をした。東北アジア体育・スポーツ史学会第13回大会(台湾)において、東ドイツのスポーツがまだ世界の注目集めていなかった1950年代半ばの東ドイツにおけるスポーツ振興の理念・方策とその実態との関係を発表した。同発表では、1957年以前、東ドイツは児童・青少年スポーツ、大衆スポーツにおいて会員数などで停滞し、競技スポーツにおいても西ドイツに追いついていない状況にあったことなどを明らかとし、スポーツ振興の理念・方策が実現できなかった理由については、児童・青少年スポーツにおける指導者の不足、競技スポーツの若干の種目におけるトレーナーの割合の低さ、スポーツ教員、運動指導者の養成の遅れ、十分でない資金調達等を指摘した。
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今後の研究の推進方策 |
今後の研究の推進方策は以下の通りである。 1.資料の選定と収集:「東ドイツにおいて政権政党であったSED、国家的機関、大衆団体であるスポーツ統括団体などによって出されたスポーツに関係する諸規定に示されるスポーツ振興の理念や方策が、どの程度まで実現されたのか、それがどのように変容したのかを、東ドイツが建国した1949年から1970年までの時期を中心に、ドイツ連邦公文書館所蔵資料を手掛かりに明らかにし、その背景を検討する」という本研究の課題を解決できる資料を収集したいが、DR5文書だけでもすべてを収集することは予算的に量的に不可能であるので、令和2年度においても、DR5文書の、東ドイツの主なスポーツ関係規定に直接関連する資料、国家委員会及び内閣官房の指導と組織に関する資料、計画と報告に関する資料の中で現在まで未収集なものを主に収集したい。 2.資料の分析と情報交換:令和2年度は収集した資料の分析を中心としたい。特に、令和2年度には1960年代の東ドイツスポーツ関係資料の分析に時間を費やしたい。1950年代における東ドイツスポーツ政策の特徴の一つは、1953年以降スポーツ促進単年計画を作成していることにある。それは1953年から1960年まで1957年を除いて確認されている。現在のところ、1961年以後年代に関しては、スポーツ促進単年計画などの資料は発掘されていない。発掘されない場合には、どのような資料を主に分析するかが課題となる。3.本研究が外国のスポーツを政策史的に研究するものであることから、海外研究協力者と情報を交換も続け、研究の質を高めていきたい。 4.成果の発表:最終年度であるので、学会誌などに研究成果を発表したいと考えている。特に、1950年代後半以降の東ドイツにおけるスポーツ振興の理念・方策とその実態との関係を発表したいと考えている。
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次年度使用額が生じた理由 |
異動した大学に慣れていないこと、資料収集が予定通り進まなかったこと、新型ウィルスの拡大によって予定していた学会に行けなかったことなどによって次年度使用額が生じた。次年時には、主に資料の更なる収集、学会誌への投稿準備に使用したいと考えている。
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