本研究は、社会主義国家の模範と言われ、スポーツ分野でも世界の注目を集めたドイツ民主共和国(以下、東ドイツ)のスポーツを政策的側面から検討するものである。社会主義国家を建設するために、東ドイツは政治、経済、教育などあらゆる面で統一的で計画的な政策を遂行してきたが、スポーツにおいても国家及びドイツ社会主義統一党(以下、SED)の強い関与があったと考えられるからである。社会主義体制の歴史は、まず理念が出され、それを「社会主義建設」という名で実現していた経緯があるので、社会主義国家におけるスポーツの分析は、理念と現実との関係を明らかにする作業は欠かせない。これは旧社会主義国家における建前と本音の区別をするというだけでなく、現存する社会主義の可能性と限界を明らかにするという重要な課題をも解くことになるからである。 このことについて昨年度は、次を発表した。寳學淳郎、1949年から1957年までの東ドイツにおけるスポーツ振興の理念・方策とその実現に関する研究、東北アジア体育・スポーツ史研究、第5号、1-11頁。本研究では、東ドイツにおいて政権政党であったSED、国家的機関、大衆団体であるスポーツ統括団体などによって出されたスポーツ関係規定に示されるスポーツ振興の理念や方策が、どの程度まで実現されたのかを1957までを中心に検討した。結果、1957年までの東ドイツでは、スポーツ振興に関する事項がスポーツ関係規定に示されても、徹底して実行に移されるまでには時間がかかったものや、実現できなかったものがあったことなどが明らかとなった。その理由としては、労働組合のスポーツ団体の大衆スポーツ軽視、児童・青少年スポーツにおける指導者不足、西ドイツに劣るスポーツ競技力などが背景にあったことが、東ドイツ時代極秘文書であった国家身体文化・スポーツ委員会関係資料を分析することによって明らかとなった。
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