最終年度に実施した研究の成果は、4月におこなったオーストラリアでの調査によってブリスベン大会(1982年)にかかる史資料を入手できたこと、初年度に震災の影響で史料収集しきれなかったニュージーランド(ウェリントン及びオークランド)での補完的な調査によって研究対象時期の関係史資料を入手できたこと、期間全体を通した本研究全体の成果のとりまとめをおこなったことである。 研究期間全体を通じて実施した研究の成果は次のとおりである。本研究では、1930年代から80年代にかけての英連邦競技会をたどるなかで、とくに1930年代後半~50年代のニュージーランドとウェールズと1980年代のオーストラリアに焦点を合わせ、地域社会、ネイション、帝国にかかる意識やその表象について考察した。ニュージーランドでは、選手派遣にかかる財政的問題など困難を抱えながらも、競技団体がオリンピックと同等の意義を大会参加に見出していた。それはオークランド大会(1950年)に際して称揚された帝国意識の現れと重なりつつ、同国スポーツの実情を映しだしていた。ウェールズは、カーディフ大会(1958年)開催において、帝国=コモンウェルスの文脈のなかにナショナリズムを据える好機を得た。女王エリザベス2世による閉会式での録音スピーチが息子チャールズの立太子を告げたことで、大会はウェールズ・ナショナリズムに一定のインパクトを残した。1980年代初めのオーストラリアで開催された大会では、白豪主義から脱却した後の先住民や移民をとりこんだ国家形成のなかで依然として未解決の問題が浮き彫りになった。 以上のような期間全体にかかる成果は、当初の見込みと完全に一致するものではなかったものの、地域主義、ナショナリズム、帝国意識が交錯するなか開催されてきた英連邦競技会の歴史的位相をあぶりだす手がかりを得た点で、所期の目的に適うだけの研究意義があった。
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