本研究の調査対象である「原理主義イスラーム」はいわゆる「穏健主義イスラーム」と対比されて論じられることが多い。しかしながら、前者を“原理的”という言葉で一括りにして理解することの限界を明らかにすることができた。 そもそも「原理主義」という言葉は非イスラームの西側諸国では時に過激で柔軟性に乏しく、時に危険であるというイメージとしてとらえられることが多い。今回の調査でコーランやハディスに忠実であろうとするムスリムが必ずしもそのようなイメージに合った存在ではないことが明らかになった。 研究では原理主義団体には他宗教との共存や土着文化とのつながり、西側諸国との関係などにに関してそれぞれ多様な理解が存在することが明らかになった。中には、物理的な方法によって問題解決を図ろうとするもの、またイスラームのカリフ制を一つの解決手段として求めるものなどの存在が明らかになった。 いわゆる「原理主義者」たちを理解するためには、多様なかれらの背景の理解が求められるだろう。また、同時に「原理主義者」たちの間にも緊張関係が存在し、宗教団体としての在り方やメンバー同士の意見の不一致を始めとして、ある意味での軋轢も明らかになった。このことからも「原理主義」を一元的に理解することの誤謬が改めて確認されたということができる。
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