本研究の3年度の計画は第4の問題系(日本との関係)および第5の問題系(日本人信徒の伝記的情報収集)を中心にすすめられた。そのため、2019年2月13日から22日までイスラエル訪問を行った。その際、ハイファのバハーイー教の施設を訪ねた。 本研究の目的の一つは、日本人信徒でありバハーイー・ガーデンの造園師藤田左弌郎(1886~1976年)の足跡を調べることにあったが、藤田に関する資料は極めて限られていた。造園師として建設したバハ-イー・ガーデンそのものが藤田の残した最大の遺産といえるかもしれないが、藤田を歴史的に正当に位置づけるためには資料的には十分ではないといえよう。 藤田は教祖アブドゥル・バハーの下で造園に勤しんだが、例えば、1919年春にロシアの文豪トルストイの紹介でハイファのバハーイー教団を訪れた徳冨蘆花とその妻とが顔を合わせていれば、また違った展開があったであろうが、残念ながら、蘆花は『日本から日本へ』において藤田の名前に言及するだけで、ハイファでは藤田に会うことができなかった。 しかし、そのすれ違いがむしろ今後、日本とバハーイー教団との関係を歴史的に考えていくうえで、極めて重要な意味を持つことができよう。というのも、晩年にバハーイー教に近づいたトルストイと蘆花の関係を考えていく上でバハーイー教が媒介的な役割を果たした点から、日本・ロシア・イラン・イスラエルという相互関係の環の中で位置づけなおすことも可能になるからである。 最終年度においては本研究におけるバハーイー教における藤田左弌郎と徳冨蘆花の接点を見出したことは今後、日本におけるバハーイー教受容の問題を考えるうえで興味深い事例を提供することになったと評価できる。
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