平成31年(令和元年)は、これまでの研究の総括として、1920年代に旧ワフド党の副党首を務め、ムバーラク期に至るまで議員を輩出し続けている、エジプトを代表する大地主の名望家バースィル家を事例に、歴代政権と軍事エリートとの関係を包括的に考察した。調査では、アラブ部族のラマーヒー族を起源とするバースィル家が所有する19世紀半ばの裁判記録、私文書などを複写することができた。これらの史料を精査した結果、バースィル家は19世紀を通して土地を集積し、1881年から82年に起きたオラービー革命ではファイユーム地域の中心人物として革命に関わり、20世紀になってからは当主ハムドがワフド党の結党において、サアド・ザグルールと並んで中心的役割を担ったことが明らかとなった。またハムドは国内においてはエジプト民族主義を体現する人物であったが、リビアでイタリアとイギリスの支配に抵抗したオマル・ムフタールの支援者であり、またイラクにおける部族紛争の仲裁をするなど、エジプト民族主義とアラブ民族主義運動を橋渡しする人物であることも判明した。さらに、この一族はナーセル期においては農地改革の対象となったが、現在でも広大な土地を所有していること、サーダート期に再び中央、地方議会に議員を輩出するようになり、一族から裁判所判事だけでなく、空軍将校をも輩出するなど、軍の支持層となっていた。バースィル家の事例が示しているのは、エジプトにおいては、軍事エリートと他のエリートは出身階層としては別であることが多く、バースィル家のような名望家は自ら多方面にエリートを輩出しつつ、国軍を中核とする体制の支持基盤となっていることである。その意味で、軍事エリートと伝統的エリートは緩い連携関係にあるといえる。
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