研究実績の概要 |
本研究の第三年度となる平成30年度の研究実績は、主に以下の二つの視点から、「共通感覚」の倫理にとっての歴史的および理論的な諸展開を解明したことにある。 1. 共通感覚の他者論:共通感覚論の射程を政治哲学の問いとして展開した哲学者にハンナ・アーレントがいる。その政治的判断力論には、共通感覚を、理念の統整的使用を超えて共同体感覚の基盤に据えてしまうことで、共同体の他者を恣意的に排除しかねないという問題がある。対して晩年の『精神の生活』に見出される「思考の風」の契機は、判断力が働く手前の没利害的な前提をつくり出すことで、判断力が基盤とする共通感覚にとって不可視の他者を垣間見させることを可能にするのである(学会発表「政治的判断力はなぜそう呼ばれるのか──アーレントの判断力論再考」)。 2. 共通感覚に伏在する信の感覚。本研究の共通感覚論にとっての特権的な参照項であるジャック・デリダの思想をとりあげ、デリダの脱構築がいかなる歴史的前提に基づいているのかを解明した(学会発表「Confronting the Lutheran Legacy of Deconstruction: Heidegger, Derrida, Nancy」)。脱構築はハイデガーの解体概念を経由してルターの「十字架の神学」によるdestructioに遡る。このことが共通感覚論研究にとって意味するのは、共通感覚の歴史にはキリスト教の伝統に特有の信の感覚が組み込まれており、宗教の回帰が取り沙汰される現在、キリスト教の脱構築が、その信の共通感覚の他者にとって必須となるということである。 その他関連する研究として、デリダとドゥルーズの哲学の比較研究を通した生の感覚の解明、また翻訳として、アメリカの哲学者スタンリー・カヴェルの未邦訳文献を紹介し、ウィトゲンシュタイン後期哲学以後の美学=感性論の問いの地平に光を当てようとした。
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