「14世紀の認識理論の諸相」を明らかにするために,2020年度は,感情の理論に焦点を当てて分析を行った。その結果,14世紀のオッカムのウィリアムにおける感情の理論は,様々な局面において,13世紀の感情の理論とは異なるものとなっていることが明らかとなった。 オッカムにおいて「感情」とは,本来的な意味では,感覚的な欲求の「活動」であり,本来的な意味での感情に後続して出てくる非本来的な感情が,「喜び」と「悲しみ」だと同定される。そして,感覚的な欲求の「所有状態」としての感情は,オッカムにおいては認められない。つまり,感覚的な欲求には,「活動」しか存在しない。トマス・アクィナスをはじめとする13世紀のアリストテレス主義者たちが考えていた,感覚的な欲求の所有状態としての感情は,オッカムにおいては,「身体の性質」へと還元されてしまうのである。 そして,理性的な認識である「知性」や理性的な欲求である「意志」については,もちろん,「活動」も「所有状態」も認められているものの,感情として成立する諸条件を鑑みると,「知性の認識活動」「知性認識の所有状態」および「意志の所有状態」が排除され,「意志の活動としての感情」と「意志のうちにある喜びと悲しみ」とが,感情として残されることになった。そして,その両者の区別は,感覚的な欲求における「感情」の区分を継承する形で,意志の活動そのものと,その活動の後に生じるものとして区別される。さらに,意志のうちにある喜びと悲しみは,意志の活動でも所有状態でもないため,端的に,「意志の感情」として位置づけられている。 このように,感情を人間の理性的・知性的な能力にまで拡張して位置づけることは,道徳や倫理における感情の位置づけの議論と連絡してくる。つまり,認識理論の延長線上にある道徳や倫理学に関しても,13世紀とは異なる理論的枠組みが,14世紀には見出されるのである。
|