本研究は、『集量論(PS)「アポーハ章」における<言語単位抽象理論>・<文意論>・<閃き理論>がパーニニ(「P」)文法学派のそれらとどのように連結するのかを考察し、仏教<戯論論>の枠組みにおいてP文法学の言語理論に立脚して展開されたのがディグナーガ(「D」)のアポーハ論であることを明らかにした。 注目すべきは、Dの散逸作品『サーマニア・パリークシャー・ヴィアーサ』における「言葉は、自己の意味の領域において(svArthe)他の言葉の意味の排除(arthAntarApoha)をなすとき、『表示する』と言われる」という言明であり、「自己の意味の領域において(svArthe)」という表現である。"svArthe"は"svArtha"(「[言葉x]自身の意味」)の位格形(locative)であり、Pindは当該表現を"for the sake of its own referent"と訳し、文法的に当該位格を根拠(nimitta)を表示する位格と解した。しかしながら、上記言明は、カーティアーヤナ(「K」)が術語〈ゼロ〉(lopa)の定義規則A 1.1.60に対する第2 vt.に言明する「言葉はすべて自己の領域とは異なる領域においては知覚されない」(sarvasyAnyatrAdRSTatvam)という〈言葉の領域外不使用の原則〉のD流の表現に他ならず、当該の位格接辞は、<領域>による<基体>(位格接辞導入規則A 2.3.36、<基体>術語規則A 1.4.45)を意味する。そして、K・パタンジャリによれば、当該の<領域>とは、ananyatrabhAva(anyatrAbhAva)に他ならない。このことは、Dの上記言明がKが定式化した原則と等価であることを示す。 Dは、仏教<戯論論>を、パーニニ文法学の言語理論に立脚し、世間の言語使用に従う言語理論アポーハ論として理論化したのである。
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