2018年度から本研究計画の最終年度となる2019年度には、ソ連邦解体後のロシアや中央アジアで注目を集めた「ネオ・ユーラシア主義」と呼ばれる思想、とりわけ、その地政学とのつながりに焦点を当て、歴史的文脈に即して検証を行ってきた。 改めて、学問的な一分野としての地政学を検討してみると、およそ100年前にドイツやスウェーデンの政治地理学から誕生した地政学は、第二次世界大戦後に社会的な関心を失ってからも独自の発展を続けていることが分かる。1980年代にはマルクス主義経済学や行動科学と結び付き、1990年代には批判理論の影響下で「批判地政学」というジャンルを確立してきた。しかし、近年、日本やロシアにおいて社会的に流布する言説としての地政学が、学問的な発展を反映しているとは言い難い。 ここで、いま一度1990年代から2010年代にかけて、代表的な「ネオ・ユーラシア主義」の論客たちが用いていた「地政学」という用語・概念を検証してみると、それが意味するものが実際には「地政学」ではないことも多かった。例えば、最右翼の論客として知られるアレクサンドル・ドゥーギンは、確かに戦間期ドイツの地政学の焼き直しをしており、それをグローバル化の代替モデルとして提示している。しかし、外交官としても中国研究者としても著名だったミハイル・チタレンコが言う「地政学」とは、「地理的条件の重視」以上のものではなく、極めてプラグマティックなものである。 これまでの研究結果を併せて考察すると、ロシアの「ネオ・ユーラシア主義」には複数のグループがあり、それぞれが少しずつ異なる背景、文脈の下でそれぞれの国際秩序構想を展開していたことが判明した。
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