研究課題/領域番号 |
16K02239
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研究機関 | 愛媛大学 |
研究代表者 |
東 賢司 愛媛大学, 教育学部, 教授 (10264318)
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研究期間 (年度) |
2016-04-01 – 2019-03-31
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キーワード | 墓誌 / 北朝 / 水経注図 / 白溝 / 清水 / 水運 / 華北 / 楷書 |
研究実績の概要 |
本年度は、河南省を起源とし、河北省を流れて天津近くの渤海に流れ込む清水・白溝周辺にある墓葬について調査を行った。 清水・白溝では一つの河川であり、現在はこれらの河川は断片的にしか残されていないため、楊守敬が清代に編集した『水経注図』を参考に北魏時代の河川の位置を推定した。この河川は、北魏期でも途切れていたが、洛陽遷都後しばらくして整備された。この河川の周辺の墓葬からは沢山の墓誌が出土しているが、この河北省・華北平原から出土した墓誌の書風を比較すると、清水・白溝周辺の資料は書風が優れた作例が多いということが確認された。この比較の対象としては、しょう水を利用した。 墓誌の出土地を地図上に置いてみると、この河川周辺、あるいは河川に流れ込む支流の周辺から出土する資料が多い。また、清水・白溝周辺で出土した墓誌資料は、洛陽で作られてきた墓誌資料の影響を受けているのではないかと思われ、これは、北魏が終わり都がぎょうとなる東魏・北斉でも同じ傾向が見られた。言い換えると、清水・白溝周辺では、前時代の北魏洛陽の技法が踏襲されていると言い換えることができる。例えば、清水・白溝の上流であり、北魏洛陽の黄河北から出土した司馬悦・司馬紹墓誌銘と、下流の天津近くで出土したけい偉墓誌銘との書風は、同種の文字を比較しても共通性が高いと思われる。この理由は、清水・白溝が当時の都であった洛陽から直接的に繋がっているからということが最も納得できる理由である。 元々河川の改修は、食料や兵役などの国の大事に関わる理由で整備されてきたが、これらが、黄河などの大規模な河川と比べ、水流・水量が安定している水路的なものが重宝され、日常的な物資を送るために利用されたのではないかと予想している。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
本年度も、基礎となるデータの分析を行ってきた。南北朝の資料はおよそ2,000件にまで増加してきた。また文字数も85万字まで増やすことができた。また、上記には含まれないが、隋代の石刻資料データベースも作り、基本情報や図版のデジタル化、文字資料の電子化も進めている。出土報告書や専著資料から抽出した石刻の件数は、850件にまでなっている。 近年、墓誌を中心とする石刻資料の発見は著しいが、これらは盗掘などによるものが多いため、出土地点などが明確にならない資料が多く、また読解が十分ではない資料も多い。可能は範囲で訓点を施す等もした。 具体的な調査内容について、本年度は、河南省・河北省・山東省にまたがる華北平原に注目し、北魏・東魏・北斉と続くこれらの石刻資料について、河川との関わりを調査した。一昨年度は、北魏洛陽について調査し、本年度はその地域をやや広げた形になった。中国本土でも、文字を刻む資料は中国の北半分に集中しており、陝西省を除くほぼ全域を調査することができた。「石刻」と「河川」「水系」という一見関係のない二つについて関連性を求めると、石刻の重量から船を利用して運搬をするという視点はほぼ疑いがないことまで高められた。
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今後の研究の推進方策 |
最終年度の調査地域は、西安周辺を考えている。この地域は、北朝では西魏・北周の領土であるが、中国再統一後に都を長安においた隋王朝に注目をしている。現在の陝西省西安市が主とした調査地域になる。 隋の初頭の時期に運河が整備をされたことによって、物流量が増加しているが、これらの影響もあってか、書法においても楷書の書体が昇華し完成期を迎える時期となる。字形の完成が進行する理由としては、南朝からの影響があるということが一般的に論じられているが、南朝は文字資料が少ないこともあり、これらの信憑性を可視化することが難しい。 私は、水路・水系を考えると、洛陽あるいは更に東の華北平原からの書法技術の伝達も可能ではなかったのかという仮説を立てている。これらを論証するために、陝西省の北朝末から隋代の文字資料を整理するとともに、唐代に向けての「楷書の完成」という変化に注目し、その情報の伝達がどのような経路で行われたのかを調査する予定である。 予備的な調査では、西安市内から出土する資料は、出土地点が明確な資料が少ないために、場所との比較が出来ない。このために、別の手段を用いて、華北平原などの資料と比較を行う計画をしている。
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次年度使用額が生じた理由 |
海外で購入する予定の資料が入手できず、1年購入を見送ったため。
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