ナチス時代における「若きラインラント」の作品の蒐集について: 本研究では、ナチス時代に「若きラインラント」の芸術家たちの作品がいかに蒐集されたのかに焦点を当てた。 1937年のナチスによる前衛芸術作品の押収とそれらをさらしものにした「退廃芸術展 Die Ausstellung “Entartete Kunst”」以降、前衛芸術に対する取り締まりは一層厳しいものとなった。しかし「蒐集」という点から観ると、少なくともそれ以前は、ナチスの監視はあまり徹底したものではなかったこと、またそれ以後も、厳しい状況下こその「蒐集」の抜け道があり得たことを、本研究ではいくつかの例を挙げて示した。この場合、まずは芸術家の立場を中心として「蒐集」の実態を考えるべく、ナチスにより芸術家としての職業禁止令を受けたオットー・パンコックや、その仲間でありつつも、ナチスにやむを得ず順応したカール・ラウターバッハの状況を考察した。次に、個人コレクターの立場から「蒐集」の状況を観るために、ケルンの弁護士で近代美術のコレクターであるヨーゼフ・ハウブリッヒを例に挙げた。ハウブリッヒは「若きラインラント」関係の芸術家の作品を積極的に購入した代表的なコレクターの一人である。彼のナチス時代における「若きラインラント」関係の作品蒐集から、芸術家本人のみならず、限定的ではありながら、デュッセルドルフのフェーメル画廊などいくつかの画廊から前衛芸術の購入が可能であったことを明らかにした。 これらの分析から、ナチス時代に前衛美術が「蒐集」を通じていかに生き延び得たのかが判明した。
|