最終年度となる本年は、バロック初頭のローマにおいて、ファン・バビューレンやホントホルストといったオランダ人画家たちの最初のパトロンがスペイン人だった事実に着目し、改めて、オランダ人画家たちがこうした親スペイン派のコネクションを獲得していった社会背景を明らかにすることに努めた。これまでの自身の研究では、教皇の建築家としてボルゲーゼ家に仕えたユトレヒト出身の建築家、ヤン・ファン・サンテン(ジョヴァンニ・ヴァサンツィオ)が最初のコンタクトのきっかけを与えたことを推測してきた。今年度の調査では、このコネクションが実際にありえたものかどうかを突き止めるため、ファン・サンテンのローマにおける活動を子細に検討した。その結果、ホントホルストと同年にローマに出てきた彼と同い年の夭逝画家ファン・ウェーデに、ファン・サンテンがローマで墓碑を提供したことが明らかとなった。また、ファン・ウェーデ家とホントホルストの師匠ブルーマールトの間に密接な関係があること、ならびにファン・ウェーデとファン・サンテンが縁戚関係にあったことも明らかにすることができた。こうしたことから、ホントホルストは師匠やおそらく同門だったファン・ウェーデを通じてファン・サンテンと知己を得ることができた可能性があったことを示すことができた。 また、こうした個人的な関係に加えて、ホントホルストと銑足カルメル会との密接な関係性にも着目し、夏季にはジェノヴァにおいて、ホントホルストが銑足カルメル会の重要な教会に制作した聖女テレサの祭壇画の調査も行った。これらの結果を、既に昨年度までに行っていたファン・バビューレンに関する知見と総合し、論としてまとめて、12月にオランダ美術史研究所で行われたシンポジウム「Going South」において口頭発表を行った。
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