研究課題/領域番号 |
16K02277
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研究機関 | 実践女子大学 |
研究代表者 |
仲町 啓子 実践女子大学, 文学部, 教授 (80141125)
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研究分担者 |
山下 善也 独立行政法人国立文化財機構九州国立博物館, 学芸部文化財課, 主任研究員 (40463252)
山盛 弥生 実践女子大学, 香雪記念資料館, 研究員 (90433763)
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研究期間 (年度) |
2016-04-01 – 2019-03-31
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キーワード | 女性画家 / 日本女性史 / ジェンダー研究 / 幕末明治初の女性の移動 / 文人趣味 / 女性の社会的活動 |
研究実績の概要 |
昨年度に引き続き、張(梁川)紅蘭(1804-79)と野口小蘋(1847-1917)を中心として、二人の生き方を対比しつつ、交遊圏や移動の質的変化と絵画制作活動との関係性を考察した。 紅蘭は大垣に生まれ、星巌と結婚直後の文政5年(1822)に出発した西遊の旅では、各地の文人との交遊のなかで多くの作品を残した。特に初期の代表作《群蝶図》は広島の好事家のために制作されたものである。文政9年に帰郷後、翌年京都に出て頼山陽らとの交遊の中で合作も手がけている。天保3年(1832)には江戸に向かい、墨田川畔等を転々とした後、神田柳原のお玉が池に居を構え、詩社「玉池吟社」からは、小野湖山、大沼枕山、江馬天江などの幕末から明治にかけて活躍する多くの人材を輩出した。弘化2年(1845)足かけ14年に及んだ江戸生活を引き上げ、一旦帰郷した後、再び京都に赴く。晩年を送った京都では、若き日の富岡鉄斎などとの交遊も見られる。上記のような活動内容と彼女らを支援する社会のあり方が、本研究では「実作品」によって具体的に検証することができた。なお紅蘭の生き方と対照するために、水戸から江戸に出て、同地に定住して職業的な絵師として18世紀後半から19世紀初頭に活躍する櫻井雪保(1754-1824)についても考察した。 紅蘭が前近代的な社会に基盤を置きつつ、貧にありながらも徳を重んじる人生観を貫いたのに対して、小蘋は幕末に生を受け、10歳代から20歳代前半にかけては守旧的な遊歴生活を経験した後、明治4年(1871)に東京に出て、結婚や甲府転居などの身辺の変化もありながら、新たに制度化する美術とも真摯に向き合い、かつ南画に拠りどころをおきつつ、万博出品など欧米にも通用する「美術」を生みだし、女性初の帝室技芸員になった。今まであまり知られていなかった彼 女の驚異的ともいえる足跡を具体的作品によってかなり明らかにできた
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
張(梁川)紅蘭、奥原晴湖、野口小蘋の作品調査を重ね、多くの作品を把握することができ、制作活動の全体像をかなり具体的に把握できるようになった。その 中には未紹介の作品も含まれ、新たな紅蘭像、晴湖像、小蘋像を構築すると同時に、伝記研究や交遊圏に関する資料収集も進んできている。
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今後の研究の推進方策 |
引き続き作品研究調査及び伝記資料や周辺資料の収集に努めると同時に、張(梁川)紅蘭に関しては、今秋、紅蘭の出身地である大垣市の奥の細道むすびの地記念館で開催される梁川紅蘭に焦点を当てた展覧会にちなむ記念講演会で、紅蘭の旅と制作についての中間報告を発表する予定である。また、野口小蘋に関しては、今週、実践女子大学香雪記念資料館にて、野口小蘋展を開催するとともに、11月にシンポジウムを行い、野口小蘋の史的位置について、小蘋の生涯と制作、家庭環境、万博出品等の社会活動など、多角的方面から野口小蘋像を検討することにしている。両企画に向けて目下鋭意準備中で、その結果を踏まえつつ、明治維新前後の社会的変動と女性の移動と交遊圏の問題について、研究の総まとめを行う予定にしている。
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