本研究は、近世宮廷で御用として画事を勤める者たちの総体とその営みを画壇史として通時的・巨視的に解明することを目的に、特に彼らの画系と出自的背景を明らかにすることを目指した。宮廷画壇を構成する絵師たちを宮廷絵師と呼ぶなら、彼らのなかにはもともと絵を生業とする者がある一方、地下官人などもともと宮廷内にいて、たまたま絵も描ける者もある。後者は宮廷外での画事が少なく、活動範囲が限定的であり、作品所在も知れないために、これまで美術史においては等閑視されてきた。これはとりもなおさず、画壇の過半に目を瞑って画壇を語ることに等しい。 そこで本研究では、公卿・官人の日記など古記録から絵の御用を通時的に抽出し、誰がいつ、どのような御用をつとめたかを把握することで、宮廷外の画事の少ない絵師たちをも網羅した全体像の把握を目指した。また併せて、墓碑などの金石文も用いることにした。近世墓は現在、都市では墓地の区画整理、過疎地では寺の廃絶などで危機的状況にある。 具体的には押小路大外記家の日記、公卿平松家の記録類、京市中に出された触を書き留めた古久保家文書など、継続し、かつ比較的長期にわたるものを優先して調査した。結果、件数は多くないが、宮廷絵師の記事を収集できた。断片的な記事や資料が多く、前後の経緯がわかる別の資料が見いだせないものもあるが、現在、整理しつつあるそれらの情報と、これまでの調査結果を総合し年表化する作業を行っている。近時見つけて、まだ数度しか確認できていないものの絵師が御用を務めている最中、市中に出される触で、絵師宅の周囲2町四方に大切な御用中だから火の用心を徹底するように、という触は興味深い。これをはじめいくつかのテーマについて未発表だが複数の論文の執筆にかかっている。墓の所在は情報が乏しく、また、実際に調査に行くとすでに墓石がなくなっているケースもあり、近世墓の危機的状況を実感した。
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