研究課題/領域番号 |
16K02290
|
研究機関 | 九州産業大学 |
研究代表者 |
渡邊 雄二 九州産業大学, 芸術学部, 教授 (20590441)
|
研究期間 (年度) |
2016-04-01 – 2019-03-31
|
キーワード | 朝鮮時代絵画 / 関野貞 / 近代美術市場 / 朝鮮総督府博物館 / 李王家博物館 / 近代美術所蔵家 / 呉鳳彬 / 朝鮮美術館 |
研究実績の概要 |
概要 日本近代における朝鮮時代絵画の認識については、わずかな明治末期以来の美術史専門家以外の学者による朝鮮美術史の著述のほか、ほとんど確認できない。近代朝鮮においては李王家博物館、朝鮮総督府博物館の設立を機に、書画も収集された。1920年代に入り、京城を中心に展覧会、京城倶楽部などの競売が盛んになり、古書画が多く取引、展示された。関野貞は朝鮮へ渡り、建築、古墳などの調査に邁進したが、1930年の東亜日報社での書画陳贓品展の観覧を機に朝鮮時代絵画の調査を行い、東京での朝鮮名画展覧会の開催、著作「朝鮮美術史」において記述するなど、積極的に関わった。しかし、近代における朝鮮時代絵画の認識は、一般あるいは研究者の間でも広がらず、ほとんど関野の調査、展示にとどまったと思われる。 それら朝鮮時代絵画については投資や趣味として、植民地朝鮮に滞在した日本人の手になることはあったようだが、学究的な対象とはほとんどなりえていなかった。東京文化財研究所にのこされた第二次大戦以前の朝鮮時代絵画写真カードや著作朝鮮名画集についても、関野の調査によるところがほとんどであった。関野は朝鮮名画展覧会の後も京城を中心に朝鮮時代絵画の調査を積極的に行い、それは1935年に没する前年まで続いた。しかしながら、これを継承する日本人学者もあらわれず、関野の調査成果も朝鮮古跡図譜15巻にその一部が掲載されたのみで、詳しい解説や絵画史も編まれることはなかった。本調査研究では関野の調査対象となった、李王家博物館、朝鮮総督府博物館などの所蔵品の形成経緯、さらに現在の韓国中央博物館の所蔵品の中の確認、関野の調査当時の個人所蔵家の状況、その後の資料の移動、現在の状況などを確認し、関野の調査の意味を推察した。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
1初年度で行った基本的な資料の確認とそれを理解するための調査を行った。東京文化財研究所の写真カード、関野貞の調査カードなどを確認し、分析を行った。その結果、写真カードの出所は朝鮮名画展覧会の出品作品、あるいは関野貞が調査した資料に関係すると考えられた。したがって関野貞の調査状況を調査カードから分析し、博物館などの施設、個人所蔵家に分けて、博物館(李王家、朝鮮総督府)の分は韓国中央博物館に現在も所蔵され、その中枢的な絵画資料として活用されている(韓国中央博物館目録1963年、1968年、旧徳寿宮所蔵品目録1971年)。また、個人所蔵家については全栄弼、朴ヨンチョルの所蔵品が、現在の潤松(カンソン)美術館や高麗大学校博物館、ソウル大学校博物館に所蔵されるなどの確認を行った。 2韓国研究者の論文の解読と事象の確認を行った。そのほかの1930年前後の個人所蔵家の所蔵品については金相燮、権幸佳の論文に詳しく、金相燮は「韓国近代美術市場史資料集」6巻を2014年に刊行し、1930年代の展覧会、競売目録を網羅した。このなかには日本では閲覧できない(所在が確認できない)資料も多いようで、金氏、権氏の研究成果を日本語に翻訳する必要があり、論文や資料の日本語訳を行っている。また、逆に韓国に残る資料のうち、日本語で書かれた資料も多く、韓国研究者はそれらの釈文、現代語化を望んでいる状況もある。 3韓国研究者の招聘を行い、認識の確認を行った。29年度末に権幸佳氏に日本に来てもらい、韓国の近代書画市場史研究の現状や関野貞に関する研究の現状を拝聴する機会を得た。その中には関野の調査や展示に大いに関わったと思われる呉鳳彬およびその思想的な指導者呉世昌の評価など、日本では知りえない情報をいただいた。
|
今後の研究の推進方策 |
1 自身が持つ資料の翻刻 とくに関野のフィールドカードは速筆で解読が困難のため、活字におこして多くの人が読めるようになればと思われる。それによって現存する朝鮮時代絵画との照合を容易にするであろう。また、東京文化財研究所の写真カード(研究所書式と関野貞書式)のデータベース化をはかり、それらの源所在と今日の所在を確認したい。また、関野がどれほど朝鮮時代絵画を調査したのかという総体とそのなかから抽出したと思われる朝鮮古跡図譜ほか著作上に記録される資料の照合をはかる。 2 韓国資料の判読、集約 また、関野の調査の背景となった1930年代の京城ほか朝鮮時代の書画競売、展示の状況を韓国所在の資料や韓国研究者の著作から描き出せればと思われる。そして、日本で唯一開かれた朝鮮時代絵画の展覧会である朝鮮名画展覧会の内容、意義を改めて問い、「内鮮一致」といわれた展覧会について、関野の意図がどれほど政治的で、あるいは学究的であったのかを考察したい。 3 韓国研究者との議論を通して、日本側の認識を形成する。 この分野については資料、研究ともに韓国の研究が勝っているといえよう。しかし、当時の日本の認識を明らかにするためには、一方の主張では成り立たないであろう。研究者は関野貞という絵画史の専門家ではなかったが、当時の専門家の中でもっとも朝鮮時代絵画に関心を持った人物の動向を通じて、彼の認識ばかりでなく、その背後にあった日本の認識を推察したいと思う。研究者が考える近代における韓国古書画への関心についての問題を韓国研究者の招聘を行い、シンポジウムを開催して、日本人研究者ほか関心のある市民にも課題を投げかけ、さらなる課題、認識への手がかりとしたい。
|
次年度使用額が生じた理由 |
研究費のうち高額支出になると思われた旅費について、一つは低価格運賃で執行したこと、もう一点は朝鮮半島情勢が不安定な時期があり、渡航を控えた、また、韓国研究者の協力により、必要資料の提供を得たことにより、旅費を執行せずにすんだことが大きかったと思われる。 また、韓国での研究発表も韓国中央博物館の会議室を無償で使用させていただくなどの配慮をいただき、出費することがなかった。 今後の使用計画として、本年度は韓国研究者権幸佳氏、および金相變氏を招聘して、日本で韓国の近代美術市場についての研究会、シンポジウムを開催して、自身の研究についての指導や教示を仰ぎたいと考える。そうした費用に執行したいと考える。
|