最終年度である本年度は、昨年度までの調査同様、木喰の群像制作における最多作例である四国堂仏(享和元年〈1801〉頃制作)の調査を継続して進めるとともに、現時点での成果を展覧会図録論考(「四国堂の仏 ―故郷に残された生涯最大の群像―」『身延町なかとみ現代工芸美術館 開館二十周年事業 生誕三百年 木喰展 ~故郷に還る、微笑み。~』)としてとりまとめを行った。 四国堂仏は、大正13年(1924)に民芸運動の創始者である柳宗悦により、現在の山梨県身延町で発見された。しかしその時にはすでに堂宇は破却され、安置仏は全国に売却されていた。しかし柳による発見を契機に全国的な探索が始められ、各地に散逸していた四国堂仏の情報が柳のもとに寄せられるようになっていった。今年度は、柳による発見以降の経緯経過などについても諸資料の記述から整理を行い、四国堂仏はじめ柳宗悦による初期の木喰研究の成果の集大成といえる大判写真集『木喰上人作 木彫佛』を中心とした展覧会を開催し、その成果をリーフレットにまとめ、公表した。 本研究は3年間という研究期間を通じ、特に木喰の群像制作に着目して、木喰僧の宗教観と作仏活動の連関について言及することを試みた。中でも木喰が故郷において、かつ最大数を誇る群像として制作した四国堂仏の制作において、人々の要望を受け入れて作仏を行うばかりでなく、彼自身の宗教性を主体として像種の選択がなされた可能性の言及にいたった。また、展覧会を開催し、広く研究成果を一般に公開することにより、未確認であった四国堂仏の発見にもつながった。以上のようなことから、本研究の成果により、今後の木喰研究に新たな局面を開くことができたと考えてる。
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