まずは1920年代末から1930年代初にかかる時期に製作された日本のトーキー劇映画とドキュメンタリー作品たちを中心にテキスト分析を行った。松竹、PCL、日活などそれぞれ異なる製作会社による初期のトーキー映画や、今までほぼ公開されていなかった初期の国策ドキュメンタリーを接することができ、当時の音楽を扱う技法や、演説・効果音などをプロパガンダとして利用する方式などを確認することができた。 また植民地朝鮮の場合、最初のトーキー映画『春香伝(1935)』を製作したイ・ピルウ(李弼雨)とイ・ミョンウ(李明雨)兄弟と彼らの働いていた京城撮影所について関連資料の収集と調査が行われた。特にイ・ピルウがトーキー撮影機の開発のため松竹の土橋武夫だけではなく、上海の映画界とイギリスの技術陣まで接触していたことが分かり、今後他の資料などを通して確認することが必要である。 日本の場合は、批評家・帰山教正のトーキー理論に関して研究を進めた。特に彼のトーキー以前の批評の中で、字幕及び弁士の役割などの部分はトーキー以後の彼の立場と連携して示唆する場が多いと思われる。今後彼の純映画運動理論を映画についての一種の媒体特殊性理論として捉え、現在の理論と比較して研究をつつく計画である。
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