研究課題/領域番号 |
16K02314
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研究機関 | 九州大学 |
研究代表者 |
知足 美加子 九州大学, 芸術工学研究院, 准教授 (40284583)
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研究期間 (年度) |
2016-04-01 – 2020-03-31
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キーワード | 宝篋印塔 / 南面北座 / 金剛界五仏種子 / 五大 / 蓮華 / 荘厳する表象 / 神仏習合 / 廃仏毀釈 |
研究実績の概要 |
本年度は豪潮作の複数の宝篋印塔を調査実測し、その復原を通して、廃仏毀釈および修験道禁止令によって英彦山宝篋印塔における改変された意匠と、その表象の分析を行った。明治期に燈籠として塔身、基壇、反花を改刻された豪潮作の宝篋印塔を取り上げた。。豪潮が制作した他の宝篋印塔と比較し、請花に8つの如意宝珠があることを新たに見出した。次に火袋改変の宗教的根拠を明らかにした。英彦山の塔身は、金剛界五仏種子を削り、火袋として「四角、円、三角、半月」を造形している。実際の方位として、円形(日光)は東方、半月形(月光)は西方に位置しており、燈籠の体を成している。しかし背面に三角形を配している燈籠は稀である。英彦山修験者は、この塔を単なる燈籠ではなく「五大思想を暗示させる仏教遺物」とするための造形的工夫を施したと推測される。五大として、正面から左回りに地(四角)、水(円) 、火(三角) 、風(半月)、空(団:中心の宝珠)と配置し、この塔が仏教に帰依すること示す表現を、造形の中に巧みに取り入れていた。さらに英彦山山伏の特別な意図が反映されている点は、「猶是塔堅固不滅、一切如來神力」等の経文要約部分を残したことである。つまり英彦山山伏は、「仏教の教義そのもの」ではなく、「仏教の権威や価値を荘厳する表象」を中心に改刻したと考えられる。当時の山伏たちが仏教・修験道不滅の祈りを宝篋印塔の造形に託していたことが明らかになった。さらに、英彦山宝篋印塔塔身の種子の配置について、英彦山における北岳への信仰と、南面北座説、移築をしていない大興善寺宝篋印塔の配置を根拠として推測した。実際の方位と北方遥拝を重視し、塔身正面に南方の宝生如来(タラーク)、向かって右に東方の不空成就如来(ウン)、背面に北方の阿シュク如来(アク)、向かって左に西方の阿弥陀如来(キリーク)が刻まれていたと推定した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
2016年の熊本地震のため延期していた熊本県の西巌殿寺の豪潮作『宝篋印塔』(1805年)をはじめ、長寿寺(1810年)、佐賀県:大興善寺(1802年)、長崎県:本河内 (1811年)、禅林寺(1807年)、春徳寺(1813年)、清水寺(1801年)、最教寺(1801年)、観音寺(1817年)を行った。英彦山宝篋印塔の正面に配された種子を特定するために、他地域の宝篋印塔を参考にした。廃仏毀釈や区画整理で移築されずに建立時のまま維持されているのは、大興善寺宝篋印塔である。正面には南方を表す「宝生如来種子タラーク」が蓮華座の上に刻まれており、実際の方位も正確に南を向いている。この事実から、豪潮は「南面北座説」を根拠として立塔していたと推定する。宝篋印塔は正面より、背面の種子が最も重要なのである。英彦山宝篋印塔は高さが約8.2mなので、縮小して改刻前の姿を再現する。計測は、対象が野外にあり大型なため、長距離用3次元測定器を使用した。3Dデータ化によって、各スケールの計測、上部や直下からの形体を把握することできた。これを三次元出力するには、データ上の大量の穴(計測不可能な部分)を補修する必要がある。そこで塔身や基壇等の意匠部分はレーザー加工機で出力し、基礎等は塑像で制作することとした。本河内の宝篋印塔の種子の拓本を取り、それをデータ化して英彦山のものに組みこみ復原を行った。宝篋印塔、彦山三所権現御正体、不動明王等、英彦山修験道美術の復原を通して得た知見は、山岳修験道学会において口頭発表し、論文としてまとめている。
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今後の研究の推進方策 |
2017年に、九州北部豪雨災害が起こり、福岡県朝倉市、東峰村、添田町および大分県日田市は甚大な被害に見舞われた。これらは、英彦山修験道文化圏に属しており、地域の文化を尊重した復旧復興を行うため、英彦山修験道文化についての講演を度々招待された。その際、本研究で得た知見を活かすことができた。2018年度も引き続き、英彦山修験道研究を災害復興に活かす所存である。英彦山修験道の月輪梵字が与えた影響と地理的連関を探り、その文化的価値を調べる。修験道研究者の長野覚の調査によると、江戸時代には英彦山を信仰する檀家は長門国(山口県) から九州一円、琉球国(沖縄県) まで約42 万戸にのぼったという。まず、鹿児島県の「清水磨崖月輪梵字」との関連の有無については、英彦山修験者が制作したという銘文内容(1264年)から明らかだが、造形的な側面からの分析をさらに推し進めたい。さらに鹿児島県の「竜ヶ城一千磨崖梵字仏蹟」には約1700の梵字が刻まれており、造立動因や造形的特徴について画像処理による3D分析を行う。
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