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2018 年度 実施状況報告書

山田耕筰を中心とした美術の諸動向の研究

研究課題

研究課題/領域番号 16K02354
研究機関栃木県立美術館

研究代表者

木村 理恵子  栃木県立美術館, 学芸課, 特別研究員 (10370868)

研究期間 (年度) 2016-04-01 – 2020-03-31
キーワード日本近代美術史 / 日本近代音楽史
研究実績の概要

山田耕筰の音楽以外の芸術との関わりを考察する上で、青年期のベルリン留学は非常に大きな意味をもっていた。1910年から1913年にわたるベルリン留学の目的は、ベルリン王立音楽院で作曲を学ぶためであったが、この間にバレエ・リュスのベルリン公演に通い、アンナ・パヴロワのバレエを観劇し、イザドラ・ダンカンの舞踊に触れた。折しも、演出家の小山内薫や、後に舞台美術家としても活躍する斎藤佳三、若き日の伊藤道郎がベルリンに集ったことも大きく影響した。特に斎藤佳三との邂逅は、シュトゥルム画廊への日参とそこで同時代の美術に魅了されて、日本帰国時に多数の版画を持ち帰り、1914年の日比谷美術館での、あの「シトゥルム木版画展覧会」に結実した。
そして、1918年と1919年の渡米とカーネギーホールでのコンサートの開催、1931年の訪ソと33年のソビエト再訪といった外遊は、山田耕筰の創作の転機となり、新たな展開への契機となったように見える。アメリカでは、伊藤道郎や長谷川潔と再会していることも、特筆に値する。
また、山田耕筰が刊行した日響楽譜における版画家の恩地孝四郎の装幀は、管見ではこれまで全貌が紹介された機会はないが、質量ともに想像を上回る内容だったことが判明したのも大きな成果であった。
基盤研究の3年目となり、研究のまとめの段階に入った。そして、2020年1月に所属研究機関である栃木県立美術館で「山田耕筰と美術」と題する展覧会を開催する運びともなった。この展覧会並びに、その図録によって研究成果を公表するため、研究期間を1年間延長申請したので、引き続き研究を進めると同時に、成果公表に向けた準備を進める。

現在までの達成度 (区分)
現在までの達成度 (区分)

3: やや遅れている

理由

山田耕筰の活動の幅が広く、跡付けるのに時間を要したため。

今後の研究の推進方策

初年度の研究では、雑誌『詩と音楽』が山田耕筰の美術への関心と舞踊への関心の両者において、重要な位置を与えうるものであったことが鮮明に浮かび上がってきた。そこでは川上澄生など、すでに予測していた美術家との関わりも当然ながら見られるが、それ以外にも北原白秋を介して、山本鼎ら春陽会の画家たちとの関係も十分に考えられることが判明した。今後は、そういった世代の違う美術家との関連も視野に入れるべきと考えている。
2年目の研究では、ベルリン時代の山田耕筰に焦点を当て、舞踊や美術など、音楽以外へも柔軟に関心を開いていく様子を、ドイツ側の資料を参照しながら具体的に探った。とりわけ、ベルリン分離派の画家エルンスト・オップラーのスケッチ類によって、ベルリンでの舞踊体験を具体的に知ることができたことは、研究の進展であった。
3年目の研究では、ベルリン留学以後の外遊とその成果、恩地孝四郎などの版画家による装幀、三木露風と北原白秋とともに行った活動について焦点を当てた。
3年目の研究途上で、所属研究機関で2020年に「山田耕筰と美術」と題する展覧会が具体化できることが決定した。それにより研究期間を1年間延長申請し、研究成果をまとめつつ、展覧会の形式で成果公表をめざすこととした。
最終年度となる4年目では、山田耕筰の美術との関わりを具体的な美術作品や資料で跡付けることに重点を置き、展覧会で刊行する図録への寄稿と編集によって、本研究のまとめとしたい。

次年度使用額が生じた理由

研究の進捗状況が少し遅れたため、1年間の延長申請をして、研究成果のまとめと公表を次年度とした。
研究費は成果公表に使用する予定である。

  • 研究成果

    (1件)

すべて 2019

すべて 雑誌論文 (1件)

  • [雑誌論文] 「没後30年 鈴木賢二展 昭和の人と時代を描く  ―プロレタリア美術運動から戦後版画運動まで」を開催して2019

    • 著者名/発表者名
      木村理恵子
    • 雑誌名

      美術運動

      巻: 146 ページ: 10-11

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公開日: 2019-12-27  

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