山田耕筰の美術への関心と、美術家たちの山田耕筰との共鳴に焦点を当て、この偉大な音楽家にまつわる造形芸術を広範に調査することで、日本近代美術史への新たなアプローチを獲得することを意図し、歴史的には美術と音楽が決して乖離していなかったことを示す研究である。山田耕筰と美術に関する研究を進行するにあたり、その出発点としてベルリン留学時代が最も大きな影響を与えた時間だったと考えるにいたり、最終年度はその考察を深めつつ、全体をまとめていった。 山田耕筰は1914年の「Der Sturm木版画展覧会」の出品作品を将来した人物として、美術史の世界でもその名は登場し、この木版画展が美術家たちへ及ぼした影響もさまざまに論じられてきた。しかし、それが山田のどのような関心と結びついて将来された展覧会だったのか、彼の側から検証された機会は少ないのではないかと思う。画廊主、ヘルヴァルト・ヴァルデンも、実は若い時分にフィレンツェへの留学経験を持つ音楽家である。美術以外にも、音楽や詩など幅広い関心の持ち主で、山田に通じる一面を持っていた。山田が帰国後に開催したDer Sturm展は、当初、その第二回展で「新らしい派が拵らへた音楽」の紹介も計画されていた。シュトゥルム画廊の美術作品を展示する展覧会で、山田が新しい音楽もあわせて紹介したいと考えたのは、諸芸術の新しい動向を広範に紹介し擁護するヴァルデンとシュトゥルム画廊の意向に合致するものでもあったからだろう。 山田耕筰のベルリン時代は、美術との関わりから見ても大きな意義のある時代で、この経験がなければ、後に恩地孝四郎や長谷川潔、東郷青児らとの交流も生まれなかったかもしれない。 本研究の成果として、2020年1月に所属研究機関である栃木県立美術館で「山田耕筰と美術」と題する展覧会を開催した。この展覧会並びに、その図録によって成果を公表した。
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