古典研究者としての契沖の方法的な体系の背後にある「知」と「思想」を中世からの切断面において捉えるという狙いで引き続き研究を進めた。この点で、石田千尋氏による「詠富士山百首和歌」の研究は、契沖の自選歌集『漫吟集類題』の分析を通じて、契沖が実作において立脚していた古典文学に関する知的基盤を明らかにするものであった。 こうした石田の視点を引き受けつつ、西澤は契沖における革新性をもっとも端的に示す作品読解の方法に焦点を当てることにした。 巻五の作品群、巻十五の「遣新羅使人」歌群、および、中臣宅守と狭野弟上娘子の相聞贈答歌群を対象とし、契沖が連続した歌群全体を一つのテキストとして捉える読解態度を獲得していることに着目した。その結果、作品に照らして作者の視点を読み取ることの的確さが際立っていることに気づいた。さらに、契沖が漢籍を引用する際に中国の注釈史をどう読み解いているかに関する吉川幸次郎氏の研究に照らすことにより、契沖の比較文学的方法が作者の視点の読解に用いられていることが分かった。 同時に、西澤は、契沖が晩年まで高野山の同学と儀軌や経典注釈の類に関する校訂を行っていることに注目し、即身成仏を旨とする弘法大師の教えを記した書物を調査した所、弘法大師のエクリチュールは『万葉集』が依拠している漢籍の体系とほぼ重なることが分かり、契沖の漢学の基礎が高野山での学問伝統に立脚していることが知られた。従来、契沖の漢学が類書のような便利な書物に立脚していたであろうとしてきた考え方は根本的に見直される可能性がある。 契沖は自らの万葉学を「俗中の真」の探究であると標榜しているが、契沖の解釈学は、比較文学的な方法、言語学的な方法を内包しながら、実はその本質において、人間の本質を歌に読み出そうとする人間学と呼ぶべきものであり、この一点において契沖の万葉学は彼の仏教学と交叉していると見ることができる。
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