5年計画の最終年次にあたる令和2年度は、課題研究を締めくくるために奔走した。本居宣長の国学がいかに歪んだ形で継承され、それが近代に至る過程で変質し、「異形」と称せざるを得ないものに成り果てていった、その経緯について、資料の調査と収集をし、そのテキストの中からデータを整理し分析を加え、さらにこれを一貫した筋立てのもとにまとめ上げるという作業をおこなった。 まず、個別の単独論文として、「日本精神論の敗戦―宣長国学の表象をめぐって(その二)」(3月)がある。これは本居宣長の代表歌「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」をめぐって、この歌が近代になっていかに誤読され、時局に利用されるに至ったのかという経緯と、それが敗戦を経て、忘却の淵に沈んだかという結果について、おもに昭和十年代の辞書・辞典と中学教科書を通して明らかにした。とりわけ、宣長の詠んだ「大和心」が、時局の逼迫とともに、昭和戦中期の「日本精神」に読み替えられていく姿を実証的に明らかにした。なお、これは一昨年に発表した「小学教科書の敗戦―宣長国学の表象をめぐって(その一)」(平成31年3月)の続編に当たるものである。 次に、5年間の研究成果のまとめとして、「異形の近世注釈」としての宣長国学の受容史を近代に延ばす試みを実践している。これは本課題研究の申請段階において、その萌芽は見られたが、明確な形を思い描くことができなかったものであるが、それが研究を遂行していくにつれて、はっきりとした輪郭と明瞭な内実を含む成果として形を成すに至った。いまだ完成には至っていないが、可及的速やかこれをまとめ、世に問うことを模索している。
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