研究実績の概要 |
Christopher Marloweの_Dr. Faustus_に顕著なように、キリスト教的時間概念、すなわち天地創造から最後の審判へとリニアに進行する世界観に支配された演劇作品においては、現世における罪(の意識)の増幅は、登場人物の死によって遮断されるまで止まることがない。そこでは死は罰であると同時に解放、場合によっては救済でもありうるはずだ。悪魔との契約によって現世での「全知全能」(舞台の制約を逆手に取ったかのように矮小化されて表象される)を手にした主人公は、しかしながらそれを活用することができない。時間は無為に過ぎ、焦燥感に包まれた幕切れを迎えるが、そこに冷徹なまでに無言で偏在するのは、確約された堕地獄へのカウントダウンというたしかな時間の流れである。この意味で中世以来の宗教劇の伝統にいささかなりとも連なる性格をもつ近世演劇は、直線的でとりかえしのつかないものとしての時間の枠組みを、なんらかのかたちで前景化することになる。 これに対してShakespeare, _Hamlet_は、終幕の破局へむかう時間への意識を、何度も中途で止め、巻き戻すかのような効果を色濃く持っている。劇中で言及されるトロイ陥落からヘキュバの愁嘆場とガートルードの寝室の場面をはじめ、劇中劇も、個々の脇筋も、すべてはハムレットのプロット、それも劇の時間の外、あるいは前後の時間への展望・延長として構成されている。のみならず、それらの断片は、時系列の秩序を超え、物語の遠近法を逸脱する。この意味で『ハムレット』という戯曲は、それまでの演劇の時間軸を超越したユニークな作品であると言える。戯曲が上演という不可逆に線形の枠組みを超越したとき、「小説」の登場は必然であった。ノーベル賞作家カズオ・イシグロの作品に、時間の制約からの解放が実現した信頼できない語りの技法を確認することで、この展開を確認することができた
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