最終年度においては、主として声の神話と愛の神話に関してルネサンス的書き換えと再創造の問題について調査を実施した。新型コロナウィルスの蔓延による渡航制限で海外での資料調査・研究発表はできなかったが、デジタル資料等の活用によって研究を遂行した。英国初期近代詩人のテクストとしては、16世紀の学生向け印刷本古代ギリシア詩アンソロジーに頻繁に採録されたエピリアの強い影響を受けて流行した小叙事詩とダンテ、ペトラルカ以来の伝統に位置する英国ソネットを中心に分析を進め、ホメーロス解釈の伝統、特に16世紀の古典学者によるラテン語訳テクスト、との比較検証によって英国詩人の神話創造の特質を明らかにする作業を試みた。同じくホメーロス受容の伝統に位置するオウィディウス、ウェルギリウスなど古代ローマの詩人のテクストとの比較検証も試みた。愛の神話に関してはクリストファー・マーロウの『ヒアロウとリアンダー』等に、ルネサンス的書き換えの最も大胆な例を見ることができる。伝統的な愛の神話では人間が愛の神の気まぐれに振り回されるという展開が常套的だが、マーロウでは逆に人間の愛と欲望が宇宙と愛の神までをも振り回し混乱させるという新しい発想の神話が創造された。シェイクスピアのソネットに関しては、声と愛のそれぞれのメトニミーを分析・解体するという初期近代詩人ならでは精密かつ大胆な伝統的概念の解体・再構成の例を示すことができた。マーロウとシェイクスピア両者共通に、ウェルギリウス、ホラティウス、オウィディウス等古代ローマ詩人への挑戦が明らかだが、他方で15・16世紀の古典学者によるギリシア詩の編纂・ラテン語訳の出版の影響も明らかになってきた。影響関係の実証的検証には限界があるが、ラテン語訳ギリシア詩印刷本が16世紀に広く消費され、その風土の中に16世紀後半の英国詩人が置かれていたことも明らかになりつつある。
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