過去2年間において〈新しい男〉像の誕生を『デイヴィッド・コパーフィールド』(1849-50)の男性登場人物に捉え、それを体現しようとする世紀末男性の内的葛藤をギッシングの『渦』(1897)の中に見てきた。それらの分析に際して重要となったのは中流階級女性との関係であった。特に後者の場合は〈新しい女〉像を抜きには語れなかった。まさに「〈新しい男〉はおおむね〈新しい女〉によって形作られた」のである。 その指摘は正しいわけだが、同時に〈新しい男〉は階級の壁を超えた、男性同士の関係の中にも見出せる。具体的には、世紀末ロンドンのスラムにおけるトインビー・ホールやオックスフォード・ハウスを拠点とした中流・上流階級の男子大学生や聖職者による貧民や労働者階級の子供に対するセツルメント活動である。審美主義や禁欲主義を信奉する彼らは従来の男性像から逸脱する存在であり、世紀末に表面化した同性愛と結びつけられる可能性を常に帯びる。実際「ギリシア的愛」を声高に擁護するアシュビーやシモンズは、スラムでの慈善活動に惹きつけられた。フォースターは『モーリス』(1913-14執筆)の中で、恋人だったクライヴが女性と結婚したことに衝撃を受けたモーリスが、慈善活動での「粗暴な少年たち」との交流を通して、同性愛的欲求を昇華する場面を描き出す。 もちろんこの意味での〈新しい男〉が皆同性愛者だったというわけではない。多くの男性のセツルメント活動家は、女性の活動家とは違って、最終的には結婚し、若い時に抱いた他の男性への愛情と大人になってからの異性愛感情とを釣り合わせる。要するに、「同性愛」というのも、博愛的「審美主義」や「禁欲主義」同様、世紀末における男性性の一側面であり、男性性の一元性から多元性への推移を裏づけるものなのである。様々な解釈を許容する〈新しい男〉という概念は、まさにそうした変化を象徴するものだと言える。
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