研究課題/領域番号 |
16K02468
|
研究機関 | 東京理科大学 |
研究代表者 |
小林 酉子 東京理科大学, 理工学部教養, 教授 (60277283)
|
研究期間 (年度) |
2016-04-01 – 2020-03-31
|
キーワード | 英国ルネサンス演劇 / 舞台衣装 / 宮廷饗宴 / スチュアート朝 / 商業劇団 |
研究実績の概要 |
英国ルネサンスの最盛期は、エリザベス朝というよりジェイムズ王時代(1603-1625) であったといってよい。ジェイムズ朝は英国演劇史上の画期的な一時代であったが、次代のチャールズ2世は清教徒革命を招き、1642年、ロンドンの劇場はすべて閉鎖された。ルネサンス演劇盛期は30 年にも満たないが、今日も上演される数多くの傑作が生まれた。しかし当時の俳優がどのような衣装で舞台に立っていたのか、衣装調達が劇団経営にどう係わっていたのかなど解明されていない点は多い。本研究は、スチュアート朝で急増する王室饗宴と、これに関り、王室メンバーのお抱えとなった商業劇団が民間劇場でどのような劇をどのような衣装・演出で演じていたのか、その実態と劇場閉鎖に至る経緯・関連性を歴史的に明らかにすることを目指している。 スチュアート王室の演劇嗜好は高く、治世当初からジェイムズ王、アン王妃、ヘンリー王子、エリザベス王女、チャールズ王子がそれぞれパトロンとなって劇団を抱えた。エリザベス時代末の1600年に作成されたロンドン塔衣装庫在庫目録には女王の衣類と布地1128点、同年作成のブラックフライアーズ衣装庫目録には同233点が記載されていたが、スチュアート朝になってこれらはすべてマスク衣装に作り替えられたとされる。ジェイムズ代では、饗宴シーズンに宮廷で上演される劇やマスクの数はエリザベス時代の3~4倍に上った。劇団は王室とのつながりや民間演劇の隆盛によって経営状態が向上し、ルネサンス演劇は最盛期を迎えたのである。 宮廷饗宴衣装の一部は俳優への祝儀や払い下げの形で劇団へ流れ、商業劇場で使用された。平成28年度の研究では、主にエリザベス代の文献史料を基に、饗宴衣装の作り替え歴を検証し、宮廷と商業劇場の舞台でどのような衣装が用いられ、それらがどのように調達されていたかを明らかにした。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
平成28年度の研究計画は、宮廷マスク衣装・演出の具体像と商業劇団が宮廷とのつながりを深めていった過程を検証することであった。宮廷饗宴での衣装の作り替えについて、28年度中に研究論文を発表し、マスク衣装が具体的にどのようなものであり、どのように制作され、作り替えられていったかを明らかにした。また平成29年4月現在、商業劇団の興隆と宮廷饗宴の係わりについて研究論文を執筆中であり、研究は順調に進捗している。
|
今後の研究の推進方策 |
平成29年度は28年から引き続き、宮廷マスクと宮廷上演劇に関する文献史料による研究を進めるとともに、王室演劇舞台に関する実地調査を行う。スチュアート朝のマスクや劇公演が催されたハンプトンコート大ホール、ホワイトホール宮バンケットハウス等、ロンドンとその近郊に現存する城館での舞台構成は、民間劇場での演出にも影響を与えた。 平成30, 31年度は、民間演劇舞台について、室内劇場(Private Theater) と屋外劇場(Public Theater)の研究を行う。ロンドン市内には17 世紀初頭から室内劇場が相次いで建設された。室内劇場は王室劇場に近い形態で、宮廷マスクや宮廷上演劇の演出が室内劇場に取り入れられたと考えられる。劇団はエリザベス時代以来の野外劇場と室内劇場の双方で公演を行っていたが、室内劇場ではマスク(仮面仮装劇)的な劇中劇を含んだ芝居や、貴族社会の内幕を描くシニカルな作品が演じられた。一方の野外劇場では、市民・商人階級が主役の芝居が目立ち、演目の上でも相違が生じていった。 17 世紀初頭に台頭し、経済的に豊かになった市民・商人階級は室内劇場を好み、野外劇場は1620年代以降、廃れていった。宮廷と市民が対立を深め、劇場閉鎖に至る社会的状況の中で、民間演劇舞台での劇団活動はどのように変化していったのか、 劇団経営の有り様を検証し、ルネサンス演劇が盛期から終焉を迎える過程を明らかにする。
|
次年度使用額が生じた理由 |
国際学会の主催地が韓国ソウル市であったことから、外国旅費が予定よりも抑えられたこと、また国内での学会参加費を大学の教員研究費から支出したことによる。
|
次年度使用額の使用計画 |
平成29年度は英国城館での実地調査を予定しており、平成28年度の残額(次年度使用額)は29年度助成金と併せて、外国旅費および調査に使用する計画である。
|