本研究の目的は1787年から2年ほどの短期間、ロンドンの日刊紙The World: Fashionable Advertiser紙上で展開されたデッラ・クルスカ派(Della Cruscans)による新聞投稿恋愛詩のブームについて、メディア現象として、その背景、展開、衰退の過程と後代への影響について探ろうというものであった。匿名の投稿によりメディアに人気が集中する現象は、現代のインターネット上での言説と比較しうるものであったため、18世紀の新聞投稿詩に注目したものである。結論として両者のメディアとしての共通点は疑いのないものである。日刊紙に週数回掲載される恋愛詩を心待ちにしながら、そこへの共感で結ばれた読者のコミュニティーが形成されていたことは間違いない。メディアによるコミュニティー形成という点でインターネット文化と共通しているのである。 研究を進める中で同時に明らかになってきたことは、特定の日刊紙をめぐっての読者間コミュニティー形成については、18世紀の出版文化の発達によるはるかに広範な「感受性」の文化の一端に過ぎないという事実であり、出版メディアと「感受性」の文化による読者間の共感現象というより大きな主題と、そうした中で発展し、特に女性詩人たちにより発展した18世紀の感受性の文学という主題についての探究が必要とされているということであった。同時に残された課題はデッラ・クルスカ派の中心となったロバート・メリーという詩人についての評価である。匿名の恋愛詩の交換により紙面上に架空の劇場空間を創出したこの詩人はフランス革命勃発とともにそこに自らの文学的使命をゆだねる。だがフランスとの交戦による思潮の変化とともに読者を失ったメリーは詩人として忘却の運命をたどる。だがシェリーら、後代のロマン派詩人たちへの影響も明らかになってきており、その正当な評価の作業が残されている。
|