最終年度は,スタンダールと同時代の仏作家オノレ・ド・バルザックをとりあげ,後者によって前者の長編小説『パルムの僧院』(1839年3月刊行)がどのような形で受容されたのか,その具体相についての考察を試みた。当時の両作家の関係を再考証した結果,同作の出版からほどない1839年4月11日に偶然実現した二人の対面の折り,バルザックはスタンダールに対して賛辞と助言を述べただけでなく,暗号化されたモンチホ姉妹への献辞の意味とその背景,すなわち当時12歳だったウージェニーのために書いた草案が小説の源泉となったという秘密をスタンダールから聞き出した蓋然性が高いと分析した。これが機縁となり,バルザックは同年6月初旬に彼としては初めてとなる少女向けの小説『ピエレット』(1840年1月公表)を着想するに至ったと推定され,バルザック研究者が指摘する両小説の類似点が生じた文脈を明らかにすることができた。さらに『ピエレット』の創作過程についても,フランス学士院が所蔵する自筆原稿の検証に基づいて独自の仮説を立てている。 研究期間全体を通じて実施した研究の成果として挙げられるのは,ポール・ヴァレリーと『リュシアン・ルーヴェン』,バルザックと『パルムの僧院』という各々の事例において,スタンダール作品の読書が印象や感想,批評といった一過性の経験や仕事として完結したのではなく,実生活での恋愛のイマジネールな次元での深化,あるいは新たな創作の端緒となるような,いわば創造的な受容となった事実を突きとめたことである。これにより,スタンダールの価値観や美学に照らしてバルザックやヴァレリーの解釈を批判的・一面的に考察する傾向が顕著な先行研究とは大きく異なる視角を提出し,作家たちがスタンダールの作品と取り結んだ関係のあり様を掘り下げ,それぞれの文学におけるその意味と重要性に新たな光をあてた意義はけっして小さくないと考える。
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