平成30年3月10日にドイツにおける研究協力者であるオルデンブルク大学教授Detlef Haberland 博士を招聘し、日独のケンペル研究史及び日独研究者間にある乖離の課題に関し公開討論会を開催した。この討論会は日独相互の今後のケンペル研究の発展および協働に大いに有益であった。その際、Dr.Haberlandからケンペル生前唯一ラテン語で刊行された『廻国奇観』の研究が重要であること、また、この第5分冊『日本植物誌』の独語訳に現在取り組み、デジタル版にて順次公開予定である旨の報告があった。この作業と内容については、9月初めボンにおいて博士と意見・情報交換を行った。 一方、本研究課題であるケンペルの「総合研究」については、彼の思想基盤・思考形式の分析に中心を置き、ケンペルが知識を獲得深化させ、10年に及ぶ旅の出発地でもあったスウェーデン・ウプサラ大学およびストックホルムにおいて地元のケンペル研究者の案内の下、資料・施設等調査と意見交換を行った。ケンペルの師ウプサラ大学教授O.Rudbeckへの書簡やスウェーデン国王Karl XIによるペルシャ使節団への参加、そして『廻国奇観』序文の分析から、ケンペルの旅の目的がヨーロッパに未知の学術的「知」の探求にあったこと、そのため彼の思考と観察が対象を多元的かつ相対的に把握する方法を採るに至ったこと、そして何よりもこの方法が「日本報告」の客観性を担保し、18世紀ヨーロッパの総合的日本観の形成に寄与し得たこと、を論証した。事実、ケンペルは江戸幕府や日本の宗教をヨーロッパ古典やキリスト教を絶対的基準として批判するのではなく、日本独自の思想構造に基づき理解しようとした。このことは、たとえばポジティヴな「鎖国」解釈にも見て取られる。ここに17世紀終わりの日本とヨーロッパの思想史的接点がある、といっても不当なこととばかりはいえないであろう。
|