最終年度にあたる2018年度は、ヴァイマル時代ののクラカウアーにおける「点状化」というモティーフを、『探偵小説の哲学』、「理念の担い手としての集団」、「待つ者」、「旅行とダンス」、および「写真」を主な素材として検証することで、クラカウアーの身体表象をめぐる思弁的考察の基本的な枠組みと変容の過程をたどった。その作業をつうじて、クラカウアーが、幾何学的な「モザイク模様」を構成する「点」となった人々について論じるなかで、人間身体の解体と表層化という「大衆装飾」の前提をなす契機を徹底化させることで、その桎梏を内在的に超克することを志向していたことを明らかにした。さらに、ベンヤミンの叙事演劇論における自己省察のモティーフについても考察した。そこではまず、ベンヤミンの叙事演劇論のうちに、「身振り」や「中断」といった契機をつうじて主観的認識の枠組みからいったん離れ、おのれをメタ的な自己反省=自己読解の対象にするという初期ロマン主義的な図式が一貫してその理論的基盤をなしているという事実が明らかにされた。さらに、時間と空間、主体と客体とが相互に陥入しあうことで新たな自己認識の地平が開示されるという認識において、ベンヤミンとクラカウアー、さらにはアドルノの思考に共通点があることが分かった。さらに、関連業績として、クルーゲの映像作家としての活動を、ベンヤミンとアドルノの方法論と比較することで、フランクフルト学派の系譜に位置付けた論考も発表した。
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